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社説・コラム

『潮流』 再処理続行のまやかし

■論説主幹 江種則貴

 原発の運転で生じるプルトニウムを抱え込み、いざとなれば核兵器が造れる国であり続ける。周辺諸国は脅威を感じ、それが自国の安全保障につながる―。

 どう考えても、まやかしだ。「潜在的核抑止力」の観点から、日本は原発を動かし続けるべきだという理屈のことである。

 日本政府はきのう、2030年代に原発を全て止めるとしながら、使用済み核燃料の再処理は当面続けると決めた。

 再処理とは、使用済み燃料に含まれるプルトニウムを取り出すこと。再び原子炉で燃やすためだ。つまり今回の政府決定では、原発が減り、再処理を続けるプルトニウムは行き場を失うことになりかねない。

 周辺諸国はどう受け止めるだろう。日本政府自身が核抑止力を持ちたがっている。そう勘繰られても仕方がないのではないか。

 既に再処理政策の破綻は明らかだ。プルトニウムをそのまま燃やす高速増殖炉原型炉「もんじゅ」は止まったまま。ウランと混ぜる「MOX燃料」は、使用済みの処理が一層やっかいになるとみる専門家は多い。

 それでも政策を放棄しないのは、再処理工場が立地する青森県六ケ所村への配慮とされる。原発の「ごみ」がたまり続ける現状に村が反発するのは無理もない。とはいえ村民も、核抑止力を持つために国策に協力していると思われては、決して本意ではなかろう。

 半世紀にわたって原発を稼働させた結果、日本は既に40トンものプルトニウムを蓄えた。数千個もの原爆を造れる量に等しい。

 被爆地からすれば、おぞましい状況である。核抑止論そのものこそ、真っ先に消し去りたい。

 過去の無策はまだ取り返しができる。しかし、ツケを将来に先送りするのは、愚策にほかなるまい。安全保障だと言いつくろってみても、帳消しにはならぬ。

(2012年9月15日朝刊掲載)

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