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社説・コラム

『論』 広響プロ化40年 平和の響き 高らかに

■論説委員 田原直樹

 市民楽団として誕生した広島交響楽団が、プロ改組40周年を迎えた。中四国唯一のプロオーケストラ。質の高い演奏会のほか、子どもたちに音楽の楽しみを伝える活動もある。今や地域に欠かせない存在といえるだろう。

 規模こそ在京楽団に劣るものの、演奏力は高い評価を得ている。先週の定期演奏会では、20世紀を代表する作曲家メシアンの大作を披露。40年の歩みと研さんを物語る充実の内容だった。

 広島東洋カープ、サンフレッチェ広島と並び、地域に根差す「三大プロ」団体の一つ。5年ほど前からは、知名度や人気で先行する両球団と一緒に学校を訪ねたり、イベントを開いたりしている。ファン層も広がりつつあるようだ。

 とはいえ、オーケストラをめぐる状況は全国どこも厳しい。運営は自治体や企業からの助成金に頼らざるを得ないが、財政難や不況のため削減される傾向にあるためだ。

 オーケストラの存在は、都市の文化レベルを表す一つの指標ともされる。来年は結成50年も迎える広響。地域の誇りとして今後も支援し、育みたい。

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 広響自身も、他の楽団にない取り組みを考えるべきだろう。一つは、被爆地に本拠を置くことを、より強く意識した活動ではないだろうか。

 三大プロのうち、原爆の惨禍、平和の願いを直接的に表現できるのは、まずは広響といえるからだ。

 「MUSIC FOR PEACE」を掲げる広響。人類愛を奥底にたたえる楽曲を取り上げてきた。夏には平和コンサートも開催する。そこへもう一つ、ヒロシマを題材とする曲の演奏会をシリーズ化し、CD化するのはどうだろう。

 国内外の作曲家が原爆犠牲者への哀悼や平和への希求を五線譜に刻んできた。音楽関係者でつくる「ヒロシマと音楽」委員会の調査によると、クラシックだけで600曲以上ある。

 最も早く作られた器楽曲は1949年、フィンランドのアールトネンが書いた交響曲「HIROSHIMA」という。55年に広島で演奏されたが、今や存在さえ知る人は少ないだろう。

 芥川也寸志、團伊玖磨ら日本を代表する音楽家もヒロシマを題材に作品を書いた。広島市出身の糀場富美子、細川俊夫らも手掛ける。幾つかは広響も演奏してきた。

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 ペンデレツキ「広島の犠牲者に捧(ささ)げる哀歌」は演奏機会もあるが、多くの曲が演奏されることなく、忘れられているのが現状だろう。完成度が高い楽曲を掘り出し、奏でることは意義深い。

 CDやDVDにすれば、演奏会に足を運べない多くの人と感動を分かち合い、長く伝えることができる。地域オケの足跡を記録するばかりか、地域の財産にもなるはずだ。

 費用や著作権などハードルは高いに違いない。しかし、広響が奏でるヒロシマの調べの訴求力は大きい。

 実際、平和をテーマにした自作曲を、広響に演奏してほしいとの依頼が国内外から寄せられている。

 平和貢献、地域に根差した楽団、世界に通用する楽団―。公益社団法人への移行を機に掲げた三つのビジョンも、被爆地の楽団ならではの取り組みを進めることで、体現できるだろう。

 広島県、広島市などもさらなる助成をしやすくなるかもしれない。企業や市民にも支援が広がるのではないか。

 非核非戦の祈りを次代へつなぎ、世界へ広めることは「あの日」を語り継ぐ活動ともいえる。被爆地オケの重大な使命にほかならない。

(2012年9月20日朝刊掲載)

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