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社説・コラム

『潮流』 えせ科学

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長 宮崎智三

 「たとえ火あぶりの刑に処せられようと、信念は変えないだろう」

 そう話していたソ連を代表する生物学者ニコライ・バビロフは1940年、「ブルジョワ的えせ科学者」との汚名を着せられて逮捕された。3年後、栄養失調のため、刑務所で命を落とした。

 当時、遺伝子が遺伝を決めるというメンデルの説を否定する農学者ルイセンコと論争中だった。環境が遺伝を決めるというルイセンコの考えこそ、今思えば「えせ科学」。それでも、社会主義国家にふさわしいと独裁者スターリンに気に入られた。

 要職に就き、反対する学者を追放した。暗黒時代はスターリンの死後、ルイセンコの失脚まで続いた。

 17世紀には地動説を唱えたガリレオ・ガリレイが教会の反発で有罪判決を受けた。そんなふうに、科学が政治や宗教など時の権力者に屈したり、おもねったりすることは、20世紀で終わったわけではなかろう。

 「黒い雨」に対する厚生労働省の検討会の判断は、どうだろう。約2万7千人のアンケートに基づいて広島市などが求めた降雨地域の拡大を認めなかった。

 しかし、広い範囲で降ったとの証言は多い。元プロ野球監督の広岡達朗さんも、本紙連載「生きて」でこう語っている。

 「しばらくすると雨が降った。『雨、黒いよ』と誰かと話したのを覚えています」

 呉市内の呉一中(現三津田高)での作業中のことだったが、広岡さんに限らない。国の降雨地域への反証はいくつもあるのに、そこには目を向けず、広島市の調査を否定するのでは結論ありきとしか思えない。

 ルイセンコとの論争で、バビロフが発した言葉を覚えておきたい。

 「われわれのどちらが正しいか、歴史が示してくれるだろう」

(2012年9月20日朝刊掲載)

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