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社説・コラム

『論』 原子力学会 「ゼロ」前提にせぬ議論

■論説委員 金崎由美

 2030年代の「原発ゼロ」を目標とする政府の新しいエネルギー戦略は、早くも骨抜きの様相だ。ゼロ目標と同時に核燃料サイクルは温存したことなどに、矛盾だとの批判が集まっている。戦略自体の閣議決定が一転して見送られたため、政策上の位置付けもはっきりしないものとなってしまった。

 ちょうど閣議決定が見送られた19日から3日間、広島大東広島キャンパスで日本原子力学会の大会が開かれた。会員は全国の大学、研究所、原発関連企業などに所属する約7千人と、賛助会員の企業230社。年2回、全国8地区が持ち回りで研究発表に集う場を設けている。

 専門家の緩やかな組織とはいえ、そこは「原子力ムラ」の一角ではある。福島第1原発事故と、「原発ゼロ」をめぐる動向をどう捉えたのだろうか。

 原発事故に関連し、事故防止策、放射能の計測技術、放射性セシウムに汚染された海水の拡散状況などの発表が公開された。放射線影響研究所の研究者は、被爆者の追跡調査データも踏まえ、低線量被曝(ひばく)のリスクをめぐる複数の仮説を紹介した。

 会場には、福島産リンゴの販売ブースも。「多くの人たちが避難生活を送っている。どんな役割を果たせるか」「これだけの事故。専門家としての反省がある」。会場ではそんな声も聞かれた。

 20~30歳代の大学生や若い技術者の討論会。「電力の安定供給ができるならば、原子力はなくなってもいいと思う。ただ現実はそうはならない」と前置きしながらも、「福島の問題には全力で取り組むべきだ」といった意見が出ていた。

 「村人」の間に福島の被害を深刻に捉え、専門家として力を尽くしたいと心から思っている人も多いだろう。

 だが、「原子力ムラ」という言葉は原発ゼロを骨抜きにし既得権益を守ろうとする勢力という意味でも使われる。そこに越えられないバリアーも感じた。原発維持と相反する「ゼロ」をめぐっては、おしなべてかたくなだったことだ。

 大会冒頭にあいさつした野村茂雄会長は「原子力は日本の基幹電源であり続ける」とし、原発推進の必要性を強調。「30年代に本当にゼロを達成できるというのか。再生可能エネルギーの実力を過大評価している」と政府を強く批判した。

 学会は本年度中にも原発事故から得た教訓を取り入れ、原子力安全の基本原則を策定するという。担当部会から検討状況の中間報告があった。

 「原発の施設と活動に伴うリスクは原発から得られる便益を下回っていなければならない」ことなどが基本的な考えだという。現にある原発の安全確保に力を尽くすのは当然のこと。安全工学やリスクマネジメントの面からも、常識的な前提なのだろう。

 とはいえ、原発のリスクが科学技術でコントロール可能だという考え自体が安全神話ではないか。「ゼロ」を求める市民はそう批判するだろう。

 政府はエネルギー戦略を検討するため実施した「国民議論」の結果分析として、「少なくとも過半の国民は原発に依存しない社会の実現を望んでいる」とした。原発被害の現実、行き場のない核のごみ、地震の巣の上にある国土…。脱原発には、それだけの理由と覚悟がある。

 専門家の間で「原発維持」という前提から一歩でも踏みだした議論がもっとあっていいのではないか。原発をたたむこともまた、高度な技術と相応の時間がなければできないのだから。

(2012年9月27日朝刊掲載)

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