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社説・コラム

社説 日中共同声明40年 その普遍性思い起こせ

 日中国交正常化からあすでちょうど40周年になる。沖縄県・尖閣諸島の問題を震源とする緊張関係の中で迎える節目だ。40周年の式典は中止になった。

 小泉純一郎首相が靖国神社に参拝したため、関係悪化していた2002年の30周年の時でさえ、式典は開かれている。国交正常化以来、最大最悪の危機だといえる。

 反日デモはいったん沈静化したが、新たに起きた日本製品不買運動の日本経済への打撃は計り知れない。自動車メーカーは中国での減産を余儀なくされよう。医薬品や建築などの業種でも契約解除が広がっている。

 観光ツアーの解約は万単位の件数で発生し、国の訪日促進事業「ビジットジャパン」の足をすくいかねない。広島県も四川省成都市で始まった国際見本市への出展を断られた。

 一方、こうした動きは中国国内の雇用情勢の悪化にもつながる。かつて中国の実力者の強い要望で誘致された日系企業にも反日デモの被害が出ている。日本側の投資引き揚げもあろう。

 日中両国はもとより政治体制が違う。しかし経済、観光、文化などを通じた人の交流は保たれるべきであり、長い目で見れば相互理解につながる。

 両国政府は40年前の互いの指導者の外交努力を思い起こすべきときではないか。田中角栄、周恩来両首相による共同声明は「すべての紛争を平和的手段により解決し、武力または武力による威嚇に訴えないことを確認する」と明記している。

 むろん、当時の中国にはイデオロギー対立に端を発し、国境武力紛争に発展した旧ソ連の軍事的脅威に対抗するため、日米と国交を正常化せざるをえない事情があった。あえて対日賠償も放棄した。一方、日本にとっては中国は未知の巨大な市場であり、共同声明には日米安保体制に触れない、文面での配慮も施した。

 今は中国にとってソ連の脅威は消えた。日本にとっても極東戦略ありきの日米安保は再定義されている。

 しかし、アジア・太平洋地域に覇権を求めない、という共同声明の一節には普遍性、有効性があるはずだ。

 日本が尖閣諸島を実効支配しているのは事実である。共同声明の交渉の中では「棚上げ」された。ならば日本の側からあえて口にしないのが外交の常道だろうが、日本による国有化が相手を刺激してしまった。

 中国は政権移行期を迎える。次期最高指導部は権力基盤を固めるため、対日強硬姿勢を当面続けるとの見方がある。一方、中国側には自民党総裁に返り咲いた安倍晋三氏をタカ派と見て警戒する向きもあろう。政治レベルではどこで落としどころを見つけるのか。

 米倉弘昌経団連会長ら日中友好7団体のトップは対話の糸口を探ろうとしている。こじれた問題が直ちに解決できるとは思えないが、難航する東シナ海のガス田共同開発をはじめ、経済の互恵関係を手掛かりに理解を求めるのは一つの道だろう。

 首相はきのう、国連で「領土や領海を守る国家として当然の責務を国際法にのっとって果たしていく」と述べた。それはそれで正論ではあろう。引き続き、あらゆるパイプを使って対話の糸口を探るべきだ。

(2012年9月28日朝刊掲載)

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