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社説・コラム

社説 新聞週間 安心・安全 確かなものに

 困っている人から目を離してはならない。小さな声をすくい上げ、きちんと伝える。新聞記者は誰もが肝に銘じている。

 だが福島第1原発事故の後は自問自答せずにいられない。その使命を果たしてきたと、胸を張っていえるだろうか―。

 「安全神話」の崩壊から1年7カ月。国民は政府や東京電力が出す情報に不信感を募らせてきた。伝える報道機関にも厳しい目が向けられたことだろう。

 あすから新聞週間。真摯(しんし)に振り返り、原点に立ち戻りたい。

 福島では今なお16万人が避難している。除染は進まず、汚染がれきの仮置き場も決まらない。地域で生じているのは、さまざまな「分断」である。

 放射線のリスクの受け止めや避難をどうするかは一つの家族の中でも考えの違いがあるようだ。政府が進める避難区域の再編では同じ自治体内で線が引かれ、賠償額も一律ではない。

 影響が読み切れない低線量被曝(ひばく)への不安、いわれなき偏見や差別…。福島の痛みはかつての広島とも重なる。避難してきた人々も含めて被災者の肉声をできる限り報じ、自分たちの問題として投げ掛ける。私たちは被爆地の新聞社として、丹念な報道を心掛けてきた。

 とはいえ十分と言い切るつもりもない。例えば食品による内部被曝の影響についても、読者はより確かな情報を求めている。長期的なリスクをどう検証し、正確に伝えるか。困難でも取り組まなければならない。

 原発の再稼働をめぐる安全性の検証も課題となろう。住民の不安を十分に踏まえつつ、科学的な視点で分かりやすく説明していく報道姿勢は欠かせない。

 南海トラフ巨大地震が起きる可能性も指摘されている。日頃からの防災・減災報道も、これまで以上に求められる。

 国民の安全と安心を確かなものにする。そんな新聞の使命は在日米軍基地の在り方をめぐる報道でも問われていよう。

 先月、沖縄であったマスコミ倫理懇談会の全国大会で、地元紙の記者は各地の報道関係者に投げ掛けた。「沖縄に無理やりオスプレイを配備しようとする日本は民主主義国家なのか」

 安全性が懸念される米軍の垂直離着陸輸送機。配備先の普天間飛行場周辺では「移設と返還が何ら進展しないうちに新たな負荷を押しつける。私たちはモノ扱いか」と怒りをあらわにする住民の声も聞いた。「沖縄への差別」。現地で繰り返される言葉を重く受け止めたい。

 私たちはオスプレイ配備には強い疑問を示してきた。だが詰まるところは沖縄の問題だと考えて距離を置いていないか。

 福島の原発事故と沖縄の基地。二つの問題が訴えるのは、その土地固有の苦悩であると事実を矮小(わいしょう)化してしまう危うさだ。国や権力の側の言い分より、その地で悲鳴を上げる人々と向き合う。生の声を愚直に報じる。それは暮らしの全てのテーマにおいても同じだろう。

 「負けないで 背中を押して くれた記事」。ことしの新聞標語である。読者と一つになって困難に立ち向かう。その大切さを表現している。

 瀬戸内海の変化を捉えた私たちの連載「命のゆりかご」が新聞協会賞を受けた。慢心することなく、地域を見つめるまなざしを確かなものにしたい。

(2012年10月14日朝刊掲載)

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