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社説・コラム

天風録 「蓮池さんの10年」

 「十年一昔」とは、よくぞ言い得たものだ。大概のことは忘却のはるかかなたに。それでもチャーター機のタラップを下りる5人の姿は、それこそきのうのように思い出される。とりわけ腕を支えて寄り添い合う蓮池薫さん夫妻の硬い表情が印象的だった▲仲むつまじさよりも戸惑いや不安が見て取れたから。北朝鮮に残した2人の子供が無事に戻ると、やっと重しが取れたよう。夫は古里の新潟・柏崎市役所で働いた後、大学講師を務め、さらに韓国文学の翻訳家に。多忙ぶりは自著に詳しい▲北朝鮮での暮らしに欠けていた最大のものとは「夢を実現するためのチャレンジの機会」だそうだ。人生の目標を奪われた24年間、どれほど砂をかんだことだろう▲朝早く起き、知恵を絞り、パソコンに向かう今の暮らし。「ふと幸せを感じる」とのくだりに思い知らされる。一昔どころか、自由のありがたみを忘れるのは何と罪深いことかと▲いったいあと何人が望郷の念を押し殺し、かの地の冬に耐えるのか。家族と腕を組むひとときを、どう取り戻してあげればいいのか。「いたずらに時間を浪費することは罪を犯すことに等しい」。蓮池さんの言葉が重い。

(2012年10月16日朝刊掲載)

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