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社説・コラム

『論』 復興と無形文化 「十分な別れ」のためにも

■論説副主幹 佐田尾信作

 「天国はいらない、ふるさとがほしい」

 歴史家松本健一さんの著書に見つけた言葉だ。ロシア革命後の近代化路線にあらがった農村詩人エセーニンがのこし、チェルノブイリ原発の風下の農民が記録映画の中で図らずもつぶやく。今なら東北の被災住民の心の叫びとして受け止めたいと思う。

 東日本大震災の宮城県内の被災地を取材していたこの夏、仮設商店街で1枚のポスターが目に留まった。

 「今年は今の閖上(ゆりあげ)でお盆を迎えられる最後の年です」

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 仙台平野の一角、名取市閖上地区では津波の犠牲になった住民は800人近い。復興に伴う区画整理事業で立ち入りできなくなる、とポスターにあり、「迎え火」の日取りを案内していた。盆行事でさえ、今まで通りできない無常を思わずにいられなかった。

 むろん、震災直後は年中行事や民俗芸能どころではなかっただろう。こうした文化を支える伝統的な暮らしやなりわいが失われたのだ。

 無形遺産部門を持つ国の機関、東京文化財研究所(東京・上野公園)は昨年12月、シンポジウム「震災復興と無形文化」を開いた。広島市出身の今石みぎわ研究員は「有形文化財はレスキューが始まったが、無形文化財は被害を把握できないため、アクションが起こせない状況だった」と趣旨説明に立った。

 多くの祭礼は神社によって立つ。福島県浜通り地方では神社庁登録、非登録合わせ約2500社のうち、約400社が流失したという推定が、シンポで明らかにされた。

 この地方で盛んな「浜下り」は地元の浜にみこしを渡し、神を再生させて元の神社に戻すという神事である。お社と土地は不可分の関係。発言者の神職は「人が住めない土地に神社の再興はあり得るのか」と問い掛けた。

 それでも、避難所などで供養と鎮魂の芸能がいち早く立ち上がった。岩手県陸前高田市や釜石市では三陸に広く伝わる「虎舞(とらまい)」が、がれきを背に演じられたのである。

 当時の新聞記事には、少しずつ続けていけば孫やひ孫の代では復活するだろう、と希望を託す住民の声がある。衣装や道具の多くは流されたかもしれないが、体は所作を覚えている。それが形なき文化ゆえの強さなのだろう。

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 現地に拠点を置くシャンティ国際ボランティア会(SVA)との縁で記者が歩いた宮城県気仙沼市の漁村でも、虎舞や大漁うたい込みがよみがえった。自粛ムード漂う中、あえて「復興祭」と命名して三つの地区が協力し、ボランティアたちも参加した。

 内にこもらず外に向かおうとする意志を感じる。地元出身のSVAの若者は祭りの当日、保存会会長から「おまえもやれ」と言われ、ぶっつけ本番で演じ切ったという。

 無形文化がコミュニティー再建の一つの核になると考えれば、指定、未指定を問わず「復興無形遺産」とくくり、予算の裏付けや専門のアドバイザーによる支援体制も必要になろう。中国地方の神楽団も一役買えるはずだ。

 年初、本紙洗心面に寄稿してもらった青森県・恐山菩提(ぼだい)寺院代の禅僧南直哉(じきさい)さんは、恐山に参る被災住民の内面に触れて近著をこう結ぶ。「死者を死者たらしめるには、短くない過程が必要なのだ」「おそらく彼ら(震災死者)には十分な別れがない」と。

 被災地は現代の日本社会では想像も及ばなかった「死者と向き合う社会」となり、無形文化は供養と鎮魂の様相をおのずと帯びる。「十分な別れ」のためにも、私たちは形なき文化の意味を再考する時代が来ている。

(2012年10月18日朝刊掲載)

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