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社説・コラム

『論』 核兵器の非合法化 被爆国の姿勢ちぐはぐ

■論説主幹 江種則貴

 島根・竹島と沖縄・尖閣諸島をめぐる騒動を機に、サンフランシスコ講和条約がにわかに注目を集めている。

 1951年に調印された条約は、日本と連合国との戦争終結を再確認した。ところが竹島も尖閣も日本の領土かどうかは明確にしなかった。すなわち、現在に至る韓国や中国とのあつれきの一つの端緒をつくった条約なのである。

 あいまい決着の背景に米国の思惑があったという歴史家の分析も内外から聞こえてくる。東アジアの不安定要因をあえて残し、米国の存在感を戦後も際立たせよう―。現状を見る限り、あながち的外れとも思いにくい。

 最近、講和条約に別のスポットライトを当てる「騒動」を日本政府が起こした。核兵器の非合法化問題である。

 スイスやノルウェーなどが国連総会第1委員会で発表した、核兵器の非人道性に関する共同声明。その仲間に加わるよう打診された日本政府が署名を拒んだのだ。

 広島、長崎の原爆被害を顧みれば、その非人道性は明らかであろう。核兵器のない世界をつくるため各国が足並みをそろえようという共同声明はむしろ、日本が真っ先に提案しても不思議ではない。

 なのに同調すらしない理由を、当の被爆国の外務省は「核兵器が存在する限り共存せざるを得ず、(第三国に)核を使わせないためには核抑止が必要」と説明したという。

 これでは、筋違いの言い訳としか思えない。

 その根っこがやはり講和条約にある。日本は戦争被害の賠償請求権を放棄するとともに、米国の原爆投下責任を不問に付してきたからだ。

 米国の「核の傘」に日本は守られてきたとされる。日米同盟がなければ、これほどの繁栄はなかったというのは、確かにその通りであろう。

 だとしても、ここまで米国に遠慮する政府の姿は多くの国民にとって、奇異にしか見えない。

 日本が原爆投下直後、米国に激しく抗議したことはよく知られている。だが、この1度きりで終わった。

 その抗議はスイス政府を通じてだった。くしくも今回の共同声明で、欧州のこの永世中立国は主導的な役割を果たしている。

 さらに共同声明の署名国には、北大西洋条約機構(NATO)加盟国として、欧州に広がる米国の「核の傘」の下にあるノルウェーやデンマークも名を連ねている。

 こうした各国の姿勢と比べるとき、日本と欧州の「戦後の歩み方の違い」を思い知らされるようだ。

 領土と核兵器という二つの問題にはもう一つ、共通項がある。国際司法裁判所(ICJ)の関わりだ。

 96年、ICJは核兵器の使用について「一般的には国際法に違反する」との勧告的意見を出した。日本政府は当時、「国際法の基盤にある人道主義の精神に合致しない」との陳述をした。

 今回の共同声明への対応と併せ考えれば、被爆国は、核兵器は使用すれば初めて国際法に触れるが、保有する限りはそうではない、との立場を取っていることになる。

 首尾一貫と評価する見方があるかもしれない。だが、それなら米国の原爆使用を強く責める資格が日本にはある。使うぞと脅す核抑止論も肯定できなくなるはずだ。

 日本政府は竹島問題でICJへの提訴を検討してきた。ICJの判断に頼ろうとするなら、勧告的意見の意義を再度かみしめてもらいたい。

 核兵器廃絶は、その存在を絶対否定することから始まる。それこそが、被爆国ならではの戦後処理ではないか。

(2012年11月1日朝刊掲載)

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