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社説・コラム

『論』 非核三原則と核の傘 「持ち込み」は現実論か

■論説委員 金崎由美

 日本を守っているのは、同盟国・米国が差し掛けてくれる「核の傘」。それを強固にするには持ち込みも必要であり、さもなくば自前の核保有を―。たびたび頭をもたげる論法である。

 本当に、日本の平和と安全は「核頼み」なのか。外務省さえも詳しくは知らない。なのに、核への依存が既成事実とされ、何かと過大評価されてはいないか。最近あらためて痛感させられた。

 10日ほど前、日本維新の会の橋下徹代表代行が広島市を訪れた際のことである。非核三原則の基本は堅持するという一方で「持ち込ませる必要があるなら国民の理解を得たい」と発言した。理由は「第7艦隊が核兵器を持っていないなんてあり得ない」。

 米海軍第7艦隊は西太平洋とインド洋に前方展開する。横須賀(神奈川県)を拠点とする空母などの艦船や厚木(同)の空母艦載機を指揮する。

 かつては日米両政府の「密約」の下、艦船が核を積み日本に繰り返し寄港していた。世論を裏切る形で、非核三原則は骨抜きにされていた。

 だが米ソ冷戦が終わった約20年前、状況は一変した。当時のブッシュ大統領が洋上艦と攻撃型原潜の戦術核をすべて撤去すると決めた。1994年までに「非核化」が完了した。

 橋下氏は後で、第7艦隊について「確認の必要がある」と言い換えた。実際には確認するまでもないといえる。

 いま米海軍が差し掛けている「傘」は、戦略原潜の核ミサイルだけ。米本土を母港とし、射程は7千キロ以上ある。日本の港まで来て巨体をさらすことはない、というのが米国内での常識だ。

 米国からすれば、この原潜搭載核や米本土の大陸間弾道ミサイルがあれば事足りる状況。日本に核を持ち込む必要性は極めて考えにくい。持ち込みを求める日本国内の論調は前提自体が揺らいでいる。

 だからといって、「持ち込み」を過去の出来事とは片づけられない。日本では核武装論がくすぶる。日米でだれが政権を握っても、遠い将来まで非核を貫く保証はない。「持たず、作らず、持ち込ませず」を定めた非核三原則の法制化や、非核宣言自治体の活動は重みを増している。

 橋下氏はツイッターでも発信した。「(国連)安保理の常任理事国になる戦略を描くことが先決。それ抜きに核廃絶を叫んでも、地方議会で外交防衛に関する意見表明をするのと同じぐらいむなしい」

 核兵器廃絶と非核三原則の順守を唱えながら、核の傘を求める政府の矛盾と向き合うのが先決ではないか。

 核兵器廃絶を訴えることは決してむなしいことではない。被爆地などの声が政治を動かしたこともある。

 2009年7月、巡航核ミサイル・トマホークをめぐり、米政権で論争になっていることが明らかになった。日本の外務省が廃棄に抵抗し、米国内の保守派に働きかけていたというのだ。

 トマホークはかつて非核三原則を脅かし、20年前に撤去された戦術核。唯一、廃棄はまぬがれていた。倉庫で眠る冷戦期の遺物を、なおも「傘」だとすがるのか―。広島でも疑念の声が上がった。

 論争が決着したのは半年後。当時の岡田克也外相が「私の考えとは明らかに異なる」と表明した。一連の経緯を知る核専門家のハンス・クリステンセン氏は「あれがオバマ政権の廃棄の方針を決定付けた」と断言する。

 世界には2万発近くの核がある。厳しい現実だからこそ、被爆国には役割がある。総選挙は、政治家に意気込みを問う機会となるだろうか。

(2012年11月22日朝刊掲載)

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