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社説・コラム

在韓被爆者訴訟資料 韓国政府が保存・公開 「歴史に対する責任」問う

 韓国人被爆者が日本で起こした訴訟資料が、韓国政府の国史編纂(へんさん)委員会で保存された。ホームページで目録の公開が始まり、記念のシンポジウムも今月15日に開かれた。植民地支配の下に被爆して放置され、援護への扉を裁判で押し開けるしかなかった在韓被爆者らの訴えは、日本社会が今も見過ごしがちな課題をも突きつけている。「歴史に対する責任」だ。シンポにあわせて現地を訪ねた。(編集委員・西本雅実)

 「被爆者はどこにいても被爆者」。そう訴え、被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給を2002年勝ち取った郭貴勲(カクキフン)さん(88)=京畿道=や、特別手当の受給資格を翌年に認めさせた李在錫(イジェソク)さん(79)=慶尚南道=ら11件の資料を中心に集めていた。

 ウェブ上でhttp://archive.history.go.krへアクセスし、「郭貴勲」と漢字検索しても一連の資料目録をたどることができる。電子化した文書は約3万5千枚に及ぶという。

協会創設に参画

 シンポに先立ち、李泰鎮(イテジン)委員長は「韓日の過去の清算への取り組みを伝える貴重な資料の寄贈と皆さんの努力をたたえたい」と述べ、大阪、広島、長崎での訴訟を担った弁護士や、韓国の原爆被害者を救援する市民の会(市場淳子会長)にも感謝状を贈った。

 在韓被爆者は植民地支配が終わった後も苦難を強いられた。徴兵で送られた広島で被爆し、教師となった郭さんは1967年の韓国原爆被害者協会の創設に参画し、支援を訴えて広島へ幾度も足を運んだ。しかし「被爆者健康手帳の申請すら受理されなかった」。

 扉がまず開いたのは、日本へ密入国した在韓被爆者が手帳交付を求めた裁判から。最高裁は78年に「原爆医療法は国家補償的配慮が根底にある」と下し、勝訴が確定する。ところが訴訟の過程で旧厚生省は74年、「日本国の領域を越えた被爆者の手当は失権」とする402号通達を出す。手帳を交付しても海外では援護の枠外に追いやった。

 被爆者援護法が95年に施行されると、「援護法の平等適用」を求める声が国会でも党派を超えて広がる。それを追い風に、一連の訴訟は「官」による恣意(しい)的な施策を正し、扉を押し開けてきた。

補償には高い壁

 だが今も在韓をはじめ国外に住む被爆者には、医療費を国が全額負担すると規定した援護法を適用していない。年間17万6千円(入院は18万7千円)の上限を設け自己負担を求める。在韓被爆者らは昨年6月、これについても提訴した。

 シンポは、訴訟の意義と課題をテーマにした。現地のNPO団体の研究者は「韓国政府も原爆被害者の救済を放置してきた」と指摘し、植民地支配の清算を求めて高まる運動との連帯を呼び掛けた。

 日本ではあまり意識されていないが、韓国憲法裁判所は昨年、元従軍慰安婦らの賠償請求権を政府が講じなかったのは「違憲」と判断。さらに最高裁はことし5月、元徴用工らの請求権は「有効」と認めた。

 そもそも韓国原爆被害者協会は、65年の国交回復に伴う日韓請求権協定で顧みられなかった被爆者への補償と謝罪を求めて結成した。現在の会員は2671人、近年は80~100人が亡くなっているという。

 郭さんは、日本政府との半世紀に及ぶ闘いから、補償となるとさらに高い壁を意識する。「政権交代しても歴史と向き合わなかったのに、次に予想される首相では…」。半生を懸けた資料の寄贈は「韓日の若い人たちに私たち被爆者の歩みを、核兵器の恐ろしさを知ってほしい」という願いからであり、歴史の清算を託す意思からであった。

(2012年11月27日朝刊掲載)

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