×

社説・コラム

天風録 「小沢昭一さん」

 地獄にきたのかと、16歳の少年は肝を冷やした。敗戦直後、防府の海軍兵学校分校から郷里の東京へ戻る汽車が、広島駅で動かない。闇に浮かぶ火の玉に見えたのは、原爆の犠牲者を荼毘(だび)に付す炎だった▲俳優小沢昭一さんが晩年に語ったヒロシマ。そのにおい、あの日を終生忘れないと、著書「僕のハーモニカ昭和史」にある。戦地に行って死ねと教えられてきた。それが「人間の命は何にもまして尊いという考え方に切り替わった」▲そんな体験によるものか。体当たりの演技や軽妙な小沢節には、ユーモアがにじみ出ていた。人を喜ばせることに一生懸命だったに違いない。しょげずに生きていきましょうやと、肩をたたくように▲一人語りのラジオ番組を続けて来年で40年を迎えようとしていた。せちがらい時代も、笑いで明るく照らしてきた。体調不良で収録休止が明らかになったのが、この秋のこと。本人は再開を目指していたという。もう聴くことができない▲「平和を手放したくない」と著書に残す。また戦前になっていくんじゃないかと―。笑いの奥に秘めた、静かで強い意志。ヒロシマを語ることは、若者への遺言だったのかもしれない。

(2012年12月11日朝刊掲載)

年別アーカイブ