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社説・コラム

天風録 「ゲンの力」

 「原爆の子―広島の少年少女のうったえ」。60年余り読み継がれる被爆体験手記集の序文に数行、6歳で被爆した中沢啓治さんの作文が引用されている。「学校につくと、きゅうに思い出した。わすれ物をしたのだ。ぼくは早速家に帰ろうと」▲絵の才能にあふれていた中沢さん。34歳のとき、自らの被爆体験をペンに託した。漫画雑誌に連載を始めた「はだしのゲン」。過酷な主人公の運命に、大人も子どもも、心揺さぶられた▲ピカドンで地獄絵図と化したまち。ゲンたちが受ける差別と非情な仕打ち。生々しい描写は、子どもには重すぎると批判も受けた。だが「これでも現実のほんの一部だ」と中沢さん。目をそらすな、怒りを忘れるな―。そんな問いかけだろう▲ここ数年、漫画家の命だった視力が弱り、病と闘った。「目は見えなくても思いを伝えることはできる」と力を振り絞り、子どもたちに語り続けた。へこたれないゲンのように強く生きて、と。その肉声は聞けなくなった▲でも、ゲンはこれからも世界を駆け回る。アジアや欧米で翻訳され、愛読の輪は広がる。平和への思いを、私たちはどう受け継ぐか。中沢さんがゲンの目で見守っている。

(2012年12月26日朝刊掲載)

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