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社説・コラム

<評伝> 中沢啓治さん 反戦反核 最期まで 怒りのペン「こん畜生」

 被爆者で漫画家の中沢啓治さんが亡くなった。代表作「はだしのゲン」をはじめ分かりやすい描写と強烈なメッセージで原爆や戦争を告発。体験に裏付けられた核兵器廃絶と反戦への強い思いを最期まで燃やし続けた。

 戦争に反対して非国民扱いされた父や、姉、弟を原爆に奪われた。貧困と飢えに苦しみながら、「麦のように」強く生きていくゲンはまさに中沢さんの「分身」だ。

 7月に連載した「生きて」の取材で広島市中区の自宅に何度も通った。妻ミサヨさん(70)との恋愛話や、漫画家を目指した頃の話をにこにこと話す姿はおおらかで、常に前向き。ゲンがそのまま大きくなったようだった。

 しかし、戦争や原爆の話になると、目つきが鋭くなる。「戦争、原爆がなければ、家族が散り散りになることも、僕らの住んでいた広島がめちゃくちゃになることもなかった」。戦争責任と原爆の問題を世に問うため、「こん畜生、こん畜生」とペンに怒りをぶつけた、と語気を強めた。

 2009年9月、白内障と網膜症、そして右腕の神経障害で漫画家引退を表明。しかし戦争、原爆への怒りは、ペンをおいてからも続いた。

 「しゃべれるうちは言いまっせ、ゲンは怒ってるぞ、って」。入退院を繰り返しながら、講演や取材の依頼を精力的にこなした。家族が「仕事を入れ過ぎる」と心配すると、「気力がある間はやるんだ」と答えていた。

 多くの依頼の中でも非常に喜んだのが、昨年8月5日、マツダスタジアムであった広島東洋カープの試合での始球式。球団が創設された頃からの大ファンだっただけに、「俺は、どんなことがあってもやる」と心待ちにしていた。初めて立ったマウンドは「ピーっと行く(投げられる)と思ったけど、ベースまで意外と遠かったね」。手ぶりを交えて振り返った満面の笑みが今も印象に残る。

 「中沢さんにとっての『平和』って何ですか」と小学生に問われ、「皆さんとこうして自由に話ができ、意見を交わせること」と優しく答えた。その背景には、言論の自由が認められず父が非国民呼ばわりされた戦争中の経験がある。「どんなことを言われても戦争だけは反対しろよ」。そう呼び掛けた言葉は、そのままゲンの思いだろう。

 中沢さんには、中学2年になる「元(げん)」という名の孫がいる。核兵器や戦争のない世界を築いていってほしいとの遺志。未来を担う若い世代がゲンとともに受け継ぎ、実現させてほしい。(二井理江)

話しぶりに力強さ

中沢さんの作品を研究する京都精華大マンガ学部准教授の吉村和真さんの話

 2月に自宅に伺い予定を上回る2時間以上インタビューした。圧倒される力強い話しぶりだった。大衆娯楽としての漫画の強み、面白さを知っていた。「ゲン」は40代以下の世代で最も読まれている漫画だろう。繰り返し読まれ、記憶されている奇跡的な作品。海外の研究者で今、再評価が進んでいる。作者の死後も読み継がれ、生き続けることに間違いない。

(2012年12月26日朝刊掲載)

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