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社説・コラム

『潮流』 長島県大葉町

■論説委員 石丸賢

 20××年、どこか別の原子力発電所がまた地震に見舞われ、放射能災害が重なる―。そんな苦境に立ち向かう家族の群像を描いた映画「希望の国」が広島市内で上映されている。

 作り事なのに追体験でもしている感覚に襲われる。ほかならぬ福島の現地ロケを随所に挟んでいるせいだろう。舞台の「長島県大葉町」。県の名前は長崎と広島、町の方は今や耳慣れた大熊、双葉、楢葉の原発立地町を思い起こさせる。

 その一つ、双葉町できしみが聞こえる。暮れも押し詰まった今週、井戸川克隆町長が議会解散を宣した。全会一致の不信任決議を突き付けられたからだ。

 地元紙によると、汚染土の中間貯蔵先を話し合う県や近隣町村との会合に町長が欠席したことが対立の発端になった。「独断が過ぎる。町民の理解を欠いている」というのが議会側の言い分らしい。

 井戸川町長は欠席の理由について、片を付けておくべき問題がうやむやのまま事態が進むのは見過ごせなかったと弁解する。

 中間貯蔵といいながら最終処分先は不明確なままであるし、そもそも原発事故の責任が断罪されていない。とりわけ、原発から飛び散った放射性物質を「無主物」、誰の物でもないとした東京電力の態度は腹に据えかねているようだ。

 ただ、住民は複雑だろう。役場ごとの緊急避難で埼玉に身を寄せた住民の中から、一足先に古里近くの市町に戻る人々が増えている。復興の意欲に温度差が開きつつあるようだ。

 「私は被曝(ひばく)者」との思いが町長を駆り立てていると聞く。その一念に頭が下がるが、政治はやはり、信なくば立たず―。ごたごたに時間を奪われる住民の胸中は察するに余りある。

 政治の風向きが定まらない今、この国の行方を占う意味でも福島から目が離せないでいる。

(2012年12月29日朝刊掲載)

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