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社説・コラム

天風録 「大島監督と広島」

 ロケ現場だけでなく、テレビの討論番組で口角泡を飛ばす。大島渚監督の激しいイメージと対極なのが、名前の穏やかな響きだといったら、故人に失礼が過ぎようか。瀬戸内海にちなんで母が付けたという▲広島との縁は深い。呉市などで幼少期を過ごし、伯母が住む広島市へ遊びに行った。思い出の風景は被爆前の太田川。「復興し繁栄したとて、私の昔の広島は帰らない」。原爆の映画は撮りたくないと、後にエッセーで明かしている▲心が動いたこともあったようだ。被爆50年の節目に米国側から、日米競作を持ちかけられた。よくよく聞くと、原爆投下と日本の降伏で締めくくるシナリオ。「原爆の問題が終わったことになる」。断ってほどなく、脳出血で倒れた▲あのとき監督が首を縦に振っていたら、どんな作品が生まれただろう。あくまで権力やタブーに立ち向かった監督のこと、原爆を落とした側の思惑通りにはならなかったはずだが▲敵も味方も、醜さや善意を抱えて人生を丸ごと生きるのが人間であり、それを否定するのが戦争―。代表作「戦場のメリークリスマス」に込めた思いだ。激しさの内に、生身の人間への愛を忍ばせていた。

(2013年1月17日朝刊掲載)

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