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社説・コラム

『晴耕雨読』 もう一度歩きたかった

 もう一度一緒に歩きたかった。広島市から70キロ先の邑南町まで逃げた被爆者の足取りを、8月6日を前に逆にたどる「歩こう広島まで」。1988年に取り組みを始めた中心メンバー、田中庸三さんが昨年12月、56歳で亡くなった。

 「終戦直後、広島から親子が歩いて来た」と登山仲間から聞き、被爆者の思いを知ろうと立ち上がった。初回は中学生4人を含む8人で広島を目指した。2004年以降、仕事の都合で歩けなかったが、25回の節目を迎えた昨年8月、退職を機に9年ぶりに参加。地元の69人と歩いた。

 「考えてほしいことは言わないが、分かってくれると思う」。ほとんどの区間を黙々と歩き続けた田中さんが深夜、一度だけ中学生に話しかけた。「来年は下級生を誘って来てほしい」。ゴールした生徒への柔和なまなざしが印象的だった。

 スタート当初は騒いでいた生徒たちも、原爆ドームの前で「戦争は絶対にいけない」との思いを静かにかみしめていた。「無関心が戦争や核兵器を野放しにしている。無関心を関心に変えたい」。取材に対し、田中さんが何度も話した言葉を思い出す。ことしの夏は、田中さんの分まで歩きたい。(黒田健太郎)

(2013年1月24日朝刊掲載)

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