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社説・コラム

『潮流』 一番電車の記憶

■論説委員 岩崎誠

 読み応えのあるコミックに出会った。吉本浩二さんの「さんてつ」。大津波による壊滅的打撃から懸命に立ち上がる岩手県の第三セクター、三陸鉄道を描く。現場の社員から聞き取り、忠実に再現した力作だ。

 印象的なのが3・11から9日後の場面。がれきに埋もれた鉄路の一部を自衛隊の力も借りて復旧し、「一番列車」を出発させる。

 「運賃はタダ」と社員に力強く告げる社長。乗客の笑みと「ありがとう」の声に包まれる駅。警笛を聞いた沿線の被災者も列車に手を振る…。ページをめくるうち目頭が熱くなった。

 鉄道は掛け替えない地域の宝だとしみじみ思う。

 広島電鉄の歴史とも重ね合わせたくなる。原爆投下のわずか3日後に一番電車を走らせ、廃虚の街に小さな希望をもたらした。

 その時、16歳の女子車掌として乗り込んだのが広島市の堀本春野さんだ。ずいぶん前に体験を聞かせてもらったことがある。

 「お金のない人から電車賃はもらわなくていい」。そう言われて仕事に就いたが自分も母が消息不明のまま。体調もすぐれない。だが乗客の感謝の言葉を支えに気力で耐えた、と。

 そんな堀本さんの手記が、いま国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の企画展で紹介されている。ゲートルやもんぺ姿の乗客であふれていた車内を思い返し、自ら描いた絵とともに。

 ただ、もう話をじかに伺うことはできない。1年前に世を去っていたことを、祈念館で知った。

 一番電車の逸話は再生への歩みを象徴するだけではない。日本の鉄道にとっても大切な歴史といえる。被爆地の「記憶」としていつまでも語り継ぐべきだ。

 同時に被災地の今にも思いをはせたい。三陸鉄道では不通区間の復旧作業がなお続く。鉄路復興を果たした広島からのエールは大きな力となるに違いない。

(2013年2月2日朝刊掲載)

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