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社説・コラム

『潮流』 「ロッカショ」への懸念

■論説委員 金崎由美

 「悪いのは銃犯罪者。銃ではない」。政府が銃規制に乗り出した米国。反対派は激しく抵抗している。幼少から適切な扱いを教え、模範的な所有者に育てることが安全策だ、と。

 どうもふに落ちない。危険な凶器はむやみに持たないのが一番のはずだ。

 原発と核拡散をめぐる日本の議論に、似たような違和感を抱くことがある。

 静岡市で先月あった国連軍縮会議。発表者として招かれた米国の核不拡散政策の専門家が主張した。「日本の再処理方針は道理に合わない。せめてフクシマ後の原子力政策が固まるまで、『ロッカショ』の稼働は延期するべきだ」

 使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、一部の原発燃料に使っている日本。到底消費しきれず、長崎型原爆で5千発分以上がたまっている。さらに青森県六ケ所村の再処理工場が今年中に稼働するかもしれない。それに疑問を呈す発言だった。

 再処理工場を稼働させたとて、「核のごみ」最終処分場問題の行方は見えない。それでも日本では、「模範国だ」と自負する声を多々聞く。世界で唯一、核兵器を持たない国で再処理が認められている。核不拡散と両立させてこその特権、という理屈だ。

 だが海外の目は厳しい。核武装をもくろみ「日本に続き、われも」と権利を主張する国が現れかねない、と本気で憂う人たちがいるからだ。オバマ大統領も「分離済みプルトニウムを大量に増やし続けることは絶対あってはならない」と世界に呼び掛けている。耳を傾けるべきだろう。

 日本に再処理をやめさせ、原発だけ続けてもらいたい―。こちらが米国に都合のいい本音だ。近く訪米する安倍晋三首相は相手を喜ばす「手みやげ」に悩んでいるとのこと。いっそ再処理をやめる「模範」を携えてはいかがか。

(2013年2月16日朝刊掲載)

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