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社説・コラム

日露間の歴史的イメージを学ぶ意義 広島市立大国際学部教授 ユリア・ミハイロバ

相互理解 対立超える力に

 今、日本人がロシアとの関係を語る際に、北方領土問題が真っ先に挙がるのは致し方ないだろう。日中、日韓関係においても尖閣諸島、竹島がクローズアップされている時である。

 さまざまな外交努力が続けられている。ただ、この種の問題は、相手の国民感情への相互理解が深まらない限り、平和的な解決は望み得ない。広島市立大を3月末退任するに当たり、私は同大芸術資料館で「日露戦争の頃、互いの国のイメージがどう伝えられたか」を探る資料展を、今月上旬に開いた。自国が相手国でどう思われているか、歴史をさかのぼって知ることの大切さを訴えたかった。

浮世絵が影響

 19世紀末、西欧のジャポニスム(日本趣味)はロシアへも及んでいた。日本の陶磁器、着物、扇子、漆器などが流行し、さまざまな日本のイメージが化粧品や菓子の包装紙、広告に利用された。特に日本の「ムスメ」のイメージは美の象徴になった。これは親子関係における娘というよりは若い女性、「芸者」に近いイメージである。サンクトペテルブルクやモスクワで開かれた日本美術展も反響を呼び、浮世絵などの影響を受けたロシア美術が多く生まれた。

 しかし、20世紀初頭の日露戦争(1904~05年)は両国の関係に大きな苦難をもたらした。日本は明治期の改革により大きく発展していたが、ロシアを含む列強各国は日本の潜在的な国力を十分評価していなかった。

 ロシアには「ルボーク」と呼ばれる民衆版画の伝統がある。出版社の求めで専門の職人が描き、1枚ずつ市場や行商で売られた。イコン(聖像画)のように民家の壁に飾られ、政府のプロパガンダとしての役割も果たした。日露戦争時は、大男のコサック兵が日本兵を軽くあしらう絵柄などが出回った。

 ただ、当時のロシア人は日本の具体的な知識に乏しく、極東で行われている戦争に関心は薄かった。ルボークは物珍しさで飾られても、帝国の威光を強め、戦争に動員するプロパガンダとしては失敗したといえる。ロシア革命の足音が聞こえる頃、日露戦争は日本の勝利に終わった。

意図的誇張も

 ロシア人にとって日露戦争は不名誉な敗北であり、トラウマになった。「当時の堕落した皇帝体制が敗れたのであって、ロシア人が負けたのではない」。トラウマを乗り越えるためのそんな思いを、スターリンをはじめ旧ソ連の指導者は対日政策に利用した。それは今なお、北方領土問題でロシア人が見せるかたくなな態度の背景にある。

 他方、日本では日露戦争の勝利が国力への過信をもたらし、第2次世界大戦での敗北に至る歩みにつながった。「東洋の盟主」の自負が他民族に対する優越感、排外主義を生んだ側面も指摘しなければならない。

 資料展では、日本の影響が見えるロシア美術や「ムスメ」が描かれた包装・広告、日露戦争時の代表的なルボークと、同時期の日本の雑誌に載ったロシア兵を侮蔑する風刺画などを出展した。あこがれ、蔑視、自負…。意図的な誇張も含む歴史的イメージだ。これらに誠実かつ批判を交えて学ぶことは、プロパガンダに惑わされず、対立を超えていく力になるだろう。私は退任後、京都へ住まいを移すが、なお研究を重ね、資料の活用を進めたい。

ユリア・ミハイロバ
 48年、旧ソ連レニングラード(現ロシア・サンクトペテルブルク)生まれ。レニングラード大東洋学部、ソ連科学アカデミー東洋学研究所で日本の自由民権運動や本居宣長を研究。グリフィス大(オーストラリア)教員を経て96年、広島市立大助教授。98年から現職。専門は国際関係史。

(2013年2月28日朝刊掲載)

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