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社説・コラム

社説 大震災から2年 再出発の原点忘れまい

 「どっかで間違うてしもうたんじゃ、この国は」

 大震災後の家族のありようを問うた映画「東京家族」の中で、主人公が嘆くせりふである。2年前、多くの人が同じことを実感したに違いない。

 あす3・11を迎える。巨大地震と大津波、そして福島第1原発の事故という未曽有の惨禍に直面したときの危機感をいま一度、胸に刻む日にしたい。

増える「関連死」

 被災者の暮らしは、なお厳しい。各地で避難生活を送るのは31万人。1万5千人を超す直接の死者に加え、仮設住宅で体調を崩すなどした震災関連死も2300人と増え続けている。

 福島では、いまだ原発事故の収束はもちろん除染完了のめども立たない。今も「震災」は続いている。多大な犠牲がもたらした教訓は重い。

 日本人が突きつけられたのは、戦後の社会システムの行き詰まりだった。

 何より原発である。大量消費による電力需要の拡大が、増設を求める。そのリスクを過疎地が引き受け、果実は都会が享受する構図が生まれた。加えて根拠のない「安全神話」を過信し、災害対策をおろそかにした結果は見ての通りであろう。

 津波対策も同じことがいえよう。巨費を投じて築いたコンクリートの防波堤を、海水はやすやすと越えた。かつての津波被害の記憶が薄れた地域の側も、逃げる備えを怠っていた。従来の防災対策の限界は明らかだ。

 災害弱者を支える「地域力」が、もともと被災地で低下していたことも見過ごせない。特に市町村は合併や効率化による機能低下の弊害が露呈した。

 被災地の今は、日本の行く末かもしれない。復興に当たって必要なのは地域社会の再生だけではない。節電を含めて日本全体がライフスタイルを見直す発想も求められたはずである。

昔流への逆戻り

 それなのに今、なし崩し的に「過去」に回帰していく空気があるのは気に掛かる。

 アベノミクスを掲げる安倍政権は、経済成長を最優先としている。同時に、原発の徹底した安全対策以上に早期の再稼働を望む声が政財界に強まっている。自然エネルギー活用への熱気も以前ほど感じられない。

 防災や減災を旗印にする「国土強靱(きょうじん)化」はどうか。南海トラフ巨大地震のリスクのほか、道路や橋などの老朽化が指摘されるだけに、一定の公共事業は必要だろう。

 だが、昔ながらの土木偏重の手法を繰り返そうとしてはいないか。例えば津波を食い止める堤防の整備にしても、自然の力を生かす防潮林を広げる考え方があってもいい。

 防災の名を借り、不要不急の事業を予算に紛れ込ませるなどはもってのほかである。

 むろん安倍政権が被災地の重視を掲げ、復興予算を増やすと表明したことは評価できよう。要は、地元の実情をどれほど踏まえているかである。

 被災地全体でみれば、道路などのインフラ整備がそれなりに進んできたのは確かだ。一方で住宅や雇用といった生活再建策は遅れ、若い世代の流出に歯止めがかかっていない。

 せっかくの巨額の復興予算にしても、消化できない事業も多い。役所の人手不足に加え、資材や人件費の高騰によって入札の不調も相次いでいるという。ここは地元の視点に立ち、マンパワー不足の解消を急ぐべきであろう。

記憶をどう共有

 もう一つ懸念されるのは、震災への関心が国民の間でじわじわ薄らいでいることだ。

 このところ、被災した庁舎や学校などの遺構があちこちで解体されている。残そうにも自治体側に財源がない場合もあるという。多くの人が足を運び、教訓を胸に刻むためにも国がもっと支援し、モニュメント化することはできないか。

 住民自らが震災体験を本にまとめたり、「語り部」として修学旅行生らに証言したりする活動も広がっている。ノウハウのある被爆地が協力すれば記憶の幅広い共有につながろう。

(2013年3月10日朝刊掲載)

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