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社説・コラム

今を読む 中東非核地帯は夢のまた夢か

日本が主導 議論の場を

 2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、採択した最終文書に「中東」に関する一章を設けた。

 国連事務総長に対し「核兵器を含む非大量破壊兵器地帯」の設置に関する会議を12年に開催することを求める内容である。会議の準備担当者(ファシリテーター)を指名することや、開催国を確定させることを定めた。

 NPTの枠外での核兵器の保有を疑われるイスラエルだけでなく、近年はイランの核関連活動が中東地域に影を落としている。1974年の国連総会で決議が採択されて以来、中東に非核兵器地帯をつくる構想は常に国際的な論争の焦点となってきた。ようやく動きだしたかに見える。

 だが前途は多難だと言わざるを得ない。問題は、域内外の安全保障や中東和平とも絡み合い、非常に複雑である。フィンランド外務次官がファシリテーターとなって調整を試みたものの、12年に国際会議を開くことはできなかった。

 非核兵器地帯は、特定の地域の非核兵器国が集まり、核のない地域と宣言するものだ。域内では核兵器の開発、生産、保有や他国の核兵器の持ち込みなどを禁止する。それらを条約で約束するのが非核兵器地帯条約である。

 対するNPTの五つの核兵器国(中国、ロシア、フランス、英国、米国)は、域内で核兵器を使用したり、使用の威嚇を行ったりしないことを条約の付属議定書で誓約することを求められる。消極的安全保障と呼ばれる。

 非核兵器地帯条約は、中南米およびカリブ地域、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアにはすでにある。モンゴルは単独で非核地帯を宣言している。

 さらに99年の国連軍縮委員会で、「非核兵器地帯の目的と原則」という文書も採択された。中東について考える際の手引となろう。

 これらの前例を踏まえ、中東非核兵器地帯を目指す上での課題を検討したい。

 「中東」がどこまでを指すのか、明確な定義がない。NPT再検討会議の最終文書は「2012年会議には全ての中東諸国が参加」とだけ言及している。イランも含むのなら、同国は国際原子力機関(IAEA)による監視の下、「平和目的」とする核活動の実態を全面的に明らかにしなければならない。

 当然、イスラエルの参加が前提である。しかし近隣の国々と敵対関係にある同国からすれば、自国の安全保障上、非核兵器地帯に入る利益はない。中東和平の進展と切り離せない問題なのだと、あらためて痛感させられる。

 イスラエルとイランの参加が肝心である。かといって核兵器保有や核疑惑が濃厚な国をそのまま構成国に加えれば、核のない世界を目指すという非核兵器地帯条約の原則に反する。現状では、条約は実現不可能だと言わざるを得ない。

 一方で、NPTの権威を維持することは不可欠である。非核兵器地帯の設置を訴えてきた中東諸国の不満にも応えねばならない。次のような行動が必要となろう。

 条約が当面は見込めなくても、将来を見据えた準備は始めたい。条約の原則と要素、成立までの道標を決めることを共通目標として掲げるべきである。

 条約の実現に前向きな国だけでも集まって席に着く。そうやって「対話の習慣」を設けることが大切である。私が直接関与した中央アジア非核兵器地帯がそうだった。議論の場をつくることで、各国の信頼醸成を促し、条約の実現につながった。日本が主導し、提唱してはどうか。

 国連総会で何度となく全会一致で採択されてきた、中東非核兵器地帯を求める決議も活用したい。決議の文言をなぞってイスラエルも含む中東諸国が非核化を目指すと宣言し、これを国連安全保障理事会が承認するのも一案である。やはり信頼醸成の一歩となろう。

 12年の開催はかなわなかったが、ことしこそ対話の一歩として国際会議が開かれるよう望む。

京都外国語大教授 石栗勉(いしぐり・つとむ)
 48年新潟市生まれ。早稲田大卒。72年外務省入省。87年国連軍縮局へ。92年から08年3月まで国連アジア太平洋平和軍縮センター所長。中央アジア非核兵器地帯条約の起草や署名に深くかかわった。08年4月から現職。

(2013年3月16日朝刊掲載)

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