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社説・コラム

天風録 「クスノキの記憶」

 広島城のお堀端を歩くと春の匂いがした。鳥がさえずり、桜のつぼみは膨らんでいる。そこかしこに生命の息吹が感じられる。その一隅に、枝もまばらなクスノキが1本、力なく立つ。きのう朝、樹木医が手当てした▲樹齢100年余り。幹に残る焼け跡は67年前のもの。厚い樹皮は1・1キロ離れた爆心地からの熱風に耐えた。だが反対側にある陸軍幼年学校などが燃え、炎で「やけど」したようだ。衰えは目立つが記憶を長く伝えてほしい▲やけどを負った被爆者の人形が原爆資料館から姿を消すらしい。幼い頃の記憶がよみがえる。焼けただれた皮膚を垂らして歩く子はどうなったのかと、夜も頭から離れなかった。市は3年後にも現物の遺品類に切り替える方針という▲人形が怖い―。旅行代理店アンケートにもそんな意見があった。一方で被爆者は、現実はこんなものじゃなかったと言い続けてきた。撤去方針は時代の変化というしかないのか▲あの日を知る人が少なくなってきた。原爆の恐ろしさをどう伝えたらいいのだろう。土を替え、肥料を与えられたクスノキ。新芽を吹けば、夏には葉っぱが増える。語らぬ木が見た光景をじっくり想像したい。

(2013年3月17日朝刊掲載)

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