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社説・コラム

『潮流』 もっと「人」を

■論説主幹 江種則貴

 寝起きに居間へ入った途端、プラスチックの小片を踏んづけた。小学生の娘が前夜、あやしていた人形のピアスらしい。家族そろって朝食前に、もう片方を捜した。

 恐縮しつつ私事を書いたのは、ちょうど「人形の力」について考えていたから。原爆資料館(広島市中区)のプラスチック人形にいま、市民が熱い視線を送る。

 原爆の炎から逃げ惑う被爆者の様子を再現している。迫力十分で、「怖い」と目を伏せる子どもたちが少なくない。資料館は今後の全面改装時に撤去するという。

 そう報じた途端、新聞社にも読者から反論が相次ぐ。左面の広場欄にも紹介したように。「確かに怖い。それが原爆の恐ろしさなのだ」と。

 一方、新たな展示内容について助言してきた有識者会議は「怖いから撤去するのではない」という。もっと多くの実物資料を並べるためだと。

 どちらも一理あるように思う。

 焼け焦げた衣服や弁当箱が原爆被害のすさまじさを語る。ありのままの資料が持つリアリティーにほかならない。

 資料館は実物資料を並べるに際し、誰がどこでどう被爆したのかといった説明も増やすという。「物」の背後にある「人」の悲しみや怒りを伝えるためだ。その考えにも大方がうなずけよう。

 とはいえ、想像の域をはるかに超える被害である。ギャップを埋めるには、創造の産物に頼るしかない場面もあろう。

 この際、においや温度までは無理かもしれないが、あの日を再現する究極の作り物も目指してはどうだろう。直視する覚悟のある人だけが見られるようにすればいい。

 人形の撤去が避けられないのなら、米国の国連本部に寄贈を申し出てみる手はないだろうか。

 国連の反応を見れば、ヒロシマに向ける国際社会の視線も分かる。よもや「怖いから嫌だ」とは言えまい。

(2013年3月23日朝刊掲載)

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