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社説・コラム

社説 辺野古埋め立て申請 民意無視にほかならぬ

 沖縄県民の思いを無視し、ごり押しを一体いつまで続けるのだろう。

 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先として政府はおととい、辺野古(名護市)沿岸部の埋め立てを承認するよう仲井真(なかいま)弘多(ひろかず)知事に申請した。

 電話連絡の5分後に申請書を運び込むという唐突なやり方である。混乱を避けるためとはいえ、移設反対の民意を踏みにじるかのような強引さには首をかしげざるを得ない。

 知事は「県内移設は事実上無理だ」と不快感を示した。当然だろう。

 政府はそうした地元の声に耳を貸さないばかりか、丁寧に説明を尽くしているようにも見えない。既定方針に沿った手続きというのだろうが、これでは事態をこじらせるだけだ。むしろ地元も交え、抜本的な解決策を模索すべきではないか。

 地元の民意が凝縮された文書がある。普天間の閉鎖・撤去と県内移設の断念を求めた「建白書」。県議会議長や県内41の全市町村長、議長らが署名し1月末、安倍晋三首相に手渡した。

 そこでは、普天間に配備された垂直離着陸輸送機オスプレイが日米間で取り決めた安全協定を破って飛び回る現状について「米軍はいまだ占領地のごとく傍若無人に振る舞う。国民主権国家日本の在り方が問われる」と強い調子で非難している。

 首相や担当閣僚は辺野古移設をめぐり「地元の理解を得ながら進めていく」と口では繰り返してきたが、その行動は真反対だ。建白書は安倍政権への批判でもあろう。

 さらに県民をいら立たせたのが「主権回復の日」である。政府は先日、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日に政府主催の記念式典を開くと閣議決定した。ところが、その後も米軍の統治下に置かれた沖縄にとっては「屈辱の日」にほかならない。

 安倍首相は2月の日米首脳会談でオバマ大統領と、辺野古移設の早期進展を確認し合った。今回の申請は首相にとって、約束を果たすための重要な一手に違いない。しかし沖縄からすれば、日米同盟に伴う負担の継続を宣告されたような話である。

 政府は沖縄の振興策を話し合う沖縄政策協議会を再開した。だが、それで県民を懐柔しようというのなら筋違いだ。

 普天間を固定化させてはならないのはもちろんである。だからといって辺野古移設しかないとのかたくなな態度では、行き違いは解消しない。かえって県民の不信感を増幅させる。

 普天間のオスプレイは今月から米海兵隊岩国基地(岩国市)に飛来し四国などで訓練飛行を始めた。これも沖縄の負担軽減策だと政府は言いたいのかもしれないが、米軍の意向に従順な姿勢をますます際立たせた。

 今は米国の識者からも「オスプレイを沖縄から撤収せよ」との声が聞かれる。辺野古移設が行き詰まったという政治的な理由だけではない。飛躍的に能力が高まったオスプレイなら、グアムなどに移しても軍事的な影響は少ないとの指摘である。

 沖縄の建白書にある国民主権国家の意味をあらためて考えたい。民意を基本に据えれば、おのずから答えは導かれよう。普天間の国外移設を真剣に検討するしかない。

(2013年3月24日朝刊掲載)

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