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社説・コラム

『論』 日韓関係と通信使 善隣友好の先例生かせ

■論説委員 岩崎誠

 江戸時代の広島城下に多くのブタが放し飼いされていた記録が残る。肉食は広まっていないはずなのに、なぜか。

 数十年に1度、海の向こうから下蒲刈島(呉市)に立ち寄る朝鮮通信使に供するためだったようだ。異文化が身近にあった象徴かもしれない。

 「歴史の直視を」。韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が就任早々、麻生太郎副総理に伝えた言葉だ。日韓関係の仕切り直しに当たり、われわれが植民地支配の時代を重く受け止めておくのは当然のことだろう。

 だが徳川幕府と朝鮮王朝が200年以上の友好関係を築き、通信使一行が繰り返し日本を訪れた歴史にも思いをはせたい。現代へ教訓を導くこともできよう。

 そんな思いを強くしているのは先月末、福山市であった通信使の研究フォーラムに足を運んだからである。

 日韓の研究者やゆかりの地の関係者が集い、論じたのは「世界遺産化」。通信使に関わる歴史遺産をネットワーク化し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に両国共同で申請することだ。このところ民間レベルで盛り上がってきた注目すべき動きである。

 瀬戸内海を経て江戸に向かった通信使。書や詩などを通じた文化交流を繰り広げ、異国の装束も日本人にカルチャーショックを与えた。いわば「韓流」の元祖。その足跡を追って20年余り前、寄港地を訪ね歩いたことがある。

 足元の国際交流として掘り起こす取り組みは既に活発になっていたが、いわば「点」の動きだった。やがて日本国内の連絡協議会が生まれ、一つの流れとなって海の向こうに達したことは喜ばしい。

 通信使の資料館といえば、開館20年近い下蒲刈の「御馳走(ごちそう)一番館」が名高いが、おととし釜山市内にも専門の資料館ができたという。

 ただ先のフォーラムを聞く限り、登録運動の温度差も広がっているようだ。

 日本側が前提にしてきたのは厳島神社などと同じ世界文化遺産。ルート沿いに残る文化財や史跡などを少し時間をかけて調査し、将来の登録を目指していく姿勢だ。地域おこしという視点もある。

 韓国側はどうか。かの資料館を運営する釜山文化財団からの提案は、まず両国に残る関連史料を「世界記憶遺産」に共同申請すること。2年前に福岡県の故山本作兵衛氏が描いた筑豊の炭鉱画が選ばれたように、主に文献や記録を対象にするものである。

 しかも国交正常化50年の2015年を目指し、韓国の国会にも働きかけているそうだ。目の前の外交テーマにする意気込みといえる。

 日本のゆかりの地の関係者には戸惑いもあろう。だが悪くない発想に思える。

 現実には世界文化遺産へのハードルは高い。瀬戸内海の寄港地は開発も進んできた。建造物や町並みの国際的価値の立証は簡単ではない。

 その点、記憶遺産への道は比較的容易に開けるかもしれない。文書の価値もさることながら確かな意義があれば登録されてきたからだ。「平和」が最たるものである。

 例えば1989年、旧ソ連のバルト3国で100万人以上が加わった民主化デモ「バルトの道」の写真や映像なども登録されている。

 豊臣秀吉の朝鮮侵略と、近代の植民地支配。不幸な時代のはざまで繰り広げられた通信使という平和の旅も世界の記憶にふさわしいはずだ。

 竹島問題などで関係が冷え込んだ今、親善の歴史を大切にする韓国側の動き自体が貴重だ。記憶遺産は国家でなくても自治体や民間からも申請できる特徴もある。ここは検討に値するのではないか。

(2013年3月28日朝刊掲載)

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