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社説・コラム

『この人』 広島平和文化センター理事長に就いた 小溝泰義さん

ヒロシマ発信 外交が糧

 外務省に42年余り勤めた。クウェート大使を最後に昨年11月、退職した。宗教や民族間紛争が絶えない中東に身を置き、あらためて確信した。「被爆地広島の訴えに国籍も文化も関係ない。同じ思いを他にさせたくないという一念。重要な人類的メッセージだ」

 1日、広島市の外郭団体、広島平和文化センターの第9代理事長に就いた。同省出身者は初めて。「広島出身でない自分でいいのか迷ったが、外交の現場で真剣勝負の対話を重ねた経験を生かし、ヒロシマの声を広める手伝いをしたい」と力を込める。

 核問題に関心を持つきっかけは1986年のチェルノブイリ原発事故。在ウィーン(オーストリア)大使館勤務で、事故時は休暇でドイツにいた。「幼い娘と息子への影響が心底、不安になった」

 翌87年、国際原子力機関(IAEA)への出向が決まる。原爆被害を学ぼうと初めて広島を訪れた。「あの時から私にとって大事な場所」。その後、何度も被爆証言に耳を傾けた。IAEA事務局長特別補佐官だった2000年、ウィーンでの原爆展を実現させた。

 米国の核抑止力に頼る日本の安全保障。外交の当事者組織である外務省にあって「核の傘」の限界を感じていた。「核抑止は脅しと相互不信を基に成り立つ。そんな仕組みに依存した体制はいずれ破綻する」。安保政策の転換を後押しする「市民による包囲網づくり」の必要性を説く。

 千葉県松戸市出身。「趣味の散歩で少しずつ広島の街を知りたい」。中区に妻と2人暮らし。(田中美千子)

(2013年4月2日朝刊掲載)

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