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社説・コラム

今を読む 朝鮮通信使の現代的意義

世界遺産化 和解の糸口に

 ひろしまフラワーフェスティバル(FF)でことしも朝鮮通信使の再現行列がある。かつての渡航ルートや寄港地を世界文化遺産あるいは世界記憶遺産リストに登載する機運を盛り上げるため、私も沿道から声援を送ろうと思う。

 あらためて指摘するまでもないことだが、朝鮮通信使は江戸時代の1607年に始まり、1811年まで12回にわたった。300人から500人規模の外交使節団が漢城(今のソウル)を出発し、対馬、京都、江戸そして日光にまで足を運んだ。

 6カ月にわたる延べ4千キロの旅程である。赤間関(下関市)上関(山口県上関町)蒲刈(呉市)鞆(福山市)牛窓(瀬戸内市)室津(兵庫県たつの市)に立ち寄り、各地で手厚いもてなしを受けた。瀬戸内海と韓半島との緊密な関わりを物語る。日本での韓流ブームの元祖とも呼ばれる。

 しかも、江戸幕府が国交断絶状態にあった朝鮮王朝との関係を修復しようと招いたのが始まりである。戦争の惨禍を乗り越え、信頼と誠実に基づく関係を構築しようという現代の両国にとっても、意義深い歴史遺産といえよう。

 もちろん、登載への課題は少なくない。1996年12月に実現した広島市の原爆ドームの準備過程が示唆するものは大きいと考える。

 大規模な民間人犠牲者を出した原爆の悲劇を「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ウォー」という人類全体にアピールする普遍的メッセージで表現し、広島市、民間団体、近代史や文化財保存の専門家、そして中央の政治指導者らが一丸になって推進した。

 その経験は、朝鮮通信使の登載準備作業においても、緻密な協力が何より必要であることを教えてくれる。

 今の段階で急ぐのは、両国の担当者で構成された「準備―調停委員会」の設立であろう。登載審査のための資料準備には人材、時間、そして相当の予算が要る。両国の担当者が集まって作業分担、今後の日程などを議論・計画して実行に移すことが重要だ。

 同時に両国市民の関心と支持を誘導するために「和解、善隣、平和」を強調するスローガンを公募して市民の自発的参加や関心を引き起こす戦略も必要であろう。

 当然ながら、このプロジェクトに関する憂慮の声もあることは承知している。真摯(しんし)に耳を傾ける姿勢が欠かせない。

 両国の目指すところが異なる可能性も排除しきれない。韓国の場合、自国文化を日本に波及させる効果を強調する傾向がある。一方の日本では観光客誘致や地方経済の活性化に関心が高いようだ。

 また朝鮮通信使は人と文化の流れであって、主に日本列島を舞台にした。このため現存する記録資料は、日本側がはるかに多い。世界遺産に登載された場合も、その利益は日本側に多いはずである。こうした点も事前に調整されなければならないであろう。

 何よりも難しいのは、昨年難しい場面を演出した両国関係がいかに展開していくか、という問題である。

 領土と文化交流は別々の問題である。とはいえ、この1年間の経験から推察すれば、理性的な判断は可能だとしても、さすがに感情レベルとなると難しい局面が続くかもしれない。

 韓国では、紛争の余地のある問題で日本側との協力を強調する政治家たちは「親日」と呼ばれて敬遠されがち。そこもまた、いかんともしがたいのが現実ではある。

 世界遺産登載に関し、今は楽観論と悲観論が混在した状況といえよう。だが、先が予測しにくくとも、両国がそろって重視する価値を再確認すれば、それほど案ずることもないのではなかろうか。

 玄界灘を挟んで数千年間続いてきた「人々の絆」、平和や和解を望む「人々の念願」。友好を築いた朝鮮通信使は、未来志向的な両国関係にとって深い意味を持つ。

 その思いを胸に納め、朝鮮通信使の世界遺産共同登載のために力を合わせることが、両国の関係をより厚くするモメンタム(弾み)となる。

 私はそう確信している。

広島市立大広島平和研究所准教授 金美景
 63年韓国・釜山生まれ。米ジョージア大大学院博士課程修了。韓国で北朝鮮食料援助問題コンサルタント、米大使館上席広報担当などを経て08年から現職。韓国フルブライト同門副会長。専門は社会学、北東アジア問題。

(2013年4月30日朝刊掲載)

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