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社説・コラム

『潮流』 体験と叫び

■報道部長 高本孝

 好天続きで観光地などがにぎわった大型連休。今年は期間を通じて「憲法」の2文字にかつてない存在感があったのではないか。政権が改正に前のめりとなる中、3日の憲法記念日を挟み、メディアも例年に増して力を入れて取り上げた。

 2日の本紙朝刊の憲法特集。歴史家の保阪正康氏のコメントが印象に残る。「かつて憲法9条を論ずる土台には、必ず第2次世界大戦の体験や記憶があった」。自民、社会両党を軸とした55年体制下の憲法論議には「血を吐くような叫び」があった、とも。

 17年前の取材を思い出す。自民党の組織広報本部長だった亀井静香氏(みどりの風、広島6区)が講演で、広島市の原爆慰霊碑の「過ちは繰返(くりかえ)しませぬから」を「日本が原爆を落としたわけでもないのにおかしい」と批判し、物議を醸した。

 移動中の亀井氏に真意を問うと、自動車電話で「やった(落とした)側が反省するのが当然」などと持論を展開。そして自身の姉が入市被爆の後遺症に苦しみ亡くなった、と明かした。かねて碑文には賛否の論争もあった。亀井氏の意見には同意しかねるが、その主張は体験に基づく「叫び」だったのかもしれない。

 1970年代、若者たちはフォークギターを手に「戦争を知らない子供たち」を歌った。以降の世代は往々にして「歴史認識が浅い」などと戦前派から指摘される。一方、あのころの「子供たち」も孫を持つ世代となった。どんな国を子や孫に引き継ぎたいのか―。激烈な戦争体験はなくても、内なる「叫び」があっても不思議はない。

 いつもは大型連休で終わりがちな憲法論議が、夏の参院選に向けさらに広がりそうだ。戦争を知らないおじさんの一人としても、わが身、わが世代に引きつけて条文と向き合う好機と思っている。

(2013年5月9日朝刊掲載)

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