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社説・コラム

『論』 「多崎つくる」考 物語の力をヒロシマにも

■論説主幹 江種則貴

 ミステリー的な要素もあって、楽しく一気に読んだ。村上春樹さんの3年ぶりの長編「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」である。

 発売から7日目には早くも100万部を発行したという。幅広い読者の共感を呼ぶ「村上ワールド」の圧倒的な力を思い知らされる。

 主人公「多崎つくる」は20歳目前に突然、同級生から絶縁され、自死ばかり考える。36歳になって恋人に促され、理由を解き明かすため北欧への旅に出る。そうして自分を取り戻していく物語だ。

 既に読者や評論家による感想、書評がメディアやネットにあふれる。多くは、今なぜ村上さんがこの作品を書いたか、類推している。

 村上さん自身は6日の京都市での公開インタビューで、こう語った。

 「今回は生身の人間に対する興味が出てきて、ずっと考えているうちに、(登場人物たちが)勝手に動きだしていった。人間と人間のつながりに、強い関心と共感を持つようになった」

 このところ時代を意識しながら執筆を続ける村上さん。「生身の人間と人間のつながり」こそが最新作に込めたメッセージの核心なのだろう。

 東日本大震災を受けて書かれた点も踏まえ、ネット上などでは、「多崎つくる」は被災者の全体像だと喝破する人がいる。20歳から36歳までの主人公の16年間は、阪神と東日本という二つの大震災の間隔に等しいとの指摘もある。

 震災で家族や地域の絆を断たれながら、それでも他者との交わりを通じて人生を紡ぎ直すしかない被災者たち。いったい何人の「多崎つくる」がこの日本にいることか。

 さらに言えば阪神以降、国内では地下鉄サリン事件があり、日本経済は「失われた20年」が続いた。有権者が選択した政権交代は結局、失敗の憂き目に。そして世界では、「9・11」を挟んで地球規模のグローバル化が進む。

 行き過ぎた競争社会が弱肉強食の風潮を強め、強き者はますます強く、弱者はさらに虐げられる。いったん共同体から排除されれば、やり直しがいかに難しいか。作品は現代社会への警鐘とも読める。

 京都市で村上さんは、小説家の仕事についても語った。

 「魂のネットワークのようなものをつくりたい気持ちが出てきた。誰かが僕の本に共感すると、僕の物語と『あなた』の物語が呼応し、心が共鳴するとネットワークができてくる。僕はそれが物語の力だと思う」

 効率優先の社会や巨大な国家システムを前に一人一人は無力だ。先行きは見えず、しばしば道にも迷う。しかし社会を変革するには、まずは個人同士が心の奥底で共鳴し合うことから。村上さんはそう言いたいのかもしれない。

 それが「物語の力」なのだろう。ならば、沈滞する今のヒロシマにも生かせないか。

 原爆投下以来、文学をはじめ絵本や漫画、映画、音楽など、人類の愚行を告発し、被爆者に寄り添う「物語」はさまざまに紡がれてきた。しかし今、時代のしわ寄せを一身に浴びつつ将来を築いていく人たち、すなわち若者向けの作品は絶対的に足りない。

 それは残念なことに「ノーモア・ヒロシマ」という被爆者の叫びが、戦争や暴力を丸ごと否定する思想として、この国に一向に定着しないこととも無関係ではあるまい。何より政府が核兵器の非人道性から目を背け続けている。

 新聞の立場で言えば、とことん史実にこだわりたい。とはいえ被爆68年。きのこ雲の下を多くは知らない。ヒロシマに、事実を補う「物語」がもっと生まれないものか。

(2013年5月9日朝刊掲載)

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