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社説・コラム

『潮流』 「人道」が軽すぎる

■論説主幹 江種則貴

 人道とは、人の人たる道のこと。人道主義すなわちヒューマニズムとは、人類全体の幸福の実現を目指す立場を意味する。

 国語辞典をくどくど引用したのは、この国の政府には全く違う解釈があるのかと疑わしく思えるから。

 核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会で先月末、政府は核兵器の人道的影響に関する共同声明に賛同しなかった。

 核兵器を否定するような声明に賛同することは、わが国が安全をたのむ「核の傘」の否定にもつながる。東アジアの緊張が高まる折に、それはできない―。政府はそう弁解している。

 しかし今回の被爆国の振る舞いは、過去の言い分とも大きく矛盾する。

 「全人類と文明の名において米国政府を糾弾し、こうした非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求する」。1945年8月10日、時の政府は原爆を投下した米国に抗議文を出した。

 戦時中のこと、敵国相手に言葉を強めた面はあろう。ところが政府は94年、国際司法裁判所に提出した陳述書でも、核兵器の使用について「人道主義の精神に合致しない」と述べた。

 核兵器ばかりではない。東京大空襲についても政府は先日、人道主義に合致しないと考える、とする答弁書を閣議決定した。

 たとえ戦時中であれ、市民を無差別に殺傷する点で原爆も空襲も人道に背く。政府の物言いに歯切れの悪さは残るが、的外れではない。ただ行動が伴わない。

 その不一致ぶりは、最高法規で武力の放棄を定めながら着々と防衛力を高めるといった解釈改憲の歴史をも思わせる。では今の憲法改正論議のように、行き着く先は辞典の書き換えか。

 「人道主義とは人類全体ではなく、一部の国家や国民の幸福を目指すこと」。そんなご都合主義では、それこそ人道にもとる。

(2013年5月13日朝刊掲載)

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