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社説・コラム

『潮流』 井戸を掘った人たち

■岡山支局長 中井幹夫

 岡山県・吉備高原都市へ車を走らせ、吉備中央町出身の経済人、岡崎嘉平太氏の記念館を訪ねた。旧制中学、高校時代に中国人の友人をつくり、上海大使館事務所参事官として終戦処理に当たった。1972年の日中国交回復にも大きな役割を果たした人だ。

 国交回復の伏線として62年に調印された「LT貿易」があった。中日それぞれの代表者だった廖承志(L)、高碕達之助(T)両氏の頭文字をとって名付けられたが、発案者はこの岡崎氏である。

 LT貿易は、中国の物品を輸入し、日本で販売するなど一時的な交易でなく、最低10年以上続く協定を目指していた。締結当時は「売国奴」とののしられた。その柱のプラント輸出第一号が、倉敷市を発祥の地とする倉敷レイヨン(現クラレ)の人造繊維ビニロン生産設備だったのは偶然とは思えない。

 「岡崎嘉平太伝―信はたて糸 愛はよこ糸」(ぎょうせい)をひもといた。日中共同声明調印の直前、周恩来首相から「水を飲む時、井戸を掘った人を忘れない。そういう人がいて、国交回復ができる」と言われた、という。有名な周語録の一つだが、岡崎氏が聞いていたのだ。

 「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」。サンテグジュペリ「星の王子さま」(内藤濯(あろう)訳)に、これまた有名な一節がある。見えなくても大切なものは必ずある、という意味だろう。

 尖閣諸島をめぐる日中摩擦が緊張度を増している。両政府とも対立をエスカレートさせているが、隠された「井戸」まで埋めてはならないと思う。

 国交回復を導いたのはLT貿易という実利だった。両国の関係改善のためには、東シナ海の海洋資源の共同開発といった経済連携を、いま一度模索する道もあるのではないか。

(2013年5月14日朝刊掲載)

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