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社説・コラム

批評家 東浩紀さん 広島に着想「福島原発観光地化」 記憶すべき 「負」の遺産

市民呼び込み風化防ぐ

 現代思想からポップカルチャーまで幅広く論じる批評家で作家の東浩紀さん(42)が、原発事故の記憶を継承する「福島第一原発観光地化計画」を提唱している。被爆地広島の歩みに着想を得て、将来の原発跡地に人が集まる場をつくろうという復興計画案だ。誤解も招きかねない刺激的なネーミングに込めた真意を聞いた。(渡辺敬子)

 ―原爆ドームをヒントにされたようですね。

 原爆ドームの存在によって広島への関心が湧き、原爆の悲惨さが思い継がれてきた。被爆者には何回もフラッシュバックさせるつらいものだと思うが、後世に記憶を残す役割を果たしている。撤去を望む声も最初はあったと聞く。しかし今、ない方がよかったと思う人はいないはずだ。

 アウシュビッツや南京も訪ねたが、現場に足を運ぶことで感じ、心の中にしみ通るものは大きい。インターネットで同じ情報に触れるのとは心に感じる深さが違う。ドームがなく「原爆資料館にバーチャルリアリティーがある」と説明されても、人は来ないだろう。

 ―「観光」という言葉には抵抗もあります。

 広島には厳島神社という世界遺産もあり、お好み焼きやカープ、瀬戸内海とセットでツアーができる。世界史的な負の遺産の観光資源化に成功した世界でも特異な場所であるのは間違いない。

 広島を案内したドイツの作家から「放射能は大丈夫か」と聞かれたことがある。修学旅行生もぶらぶら歩いて土産を買って帰る。軽薄で間違った知識や軽い気持ちであれ、ヒロシマが脳裏に刻まれることに意味がある。正しく理解する人だけ来てほしいという姿勢では、記憶は先細りしてしまう。

 僕が「観光地化」の言葉を選ぶのは、人々の感情を動かし、好奇心を持ってほしいからだ。

 ―福島の原発事故の被害は続いています。

 事故の大きさ、その悲劇に行き着いた戦後日本社会の愚かさを「過ち」として伝えなければならない。事故が起きるまで多くの日本人は25年前のチェルノブイリ事故を忘れていた。福島も忘れるだろう。人間はその程度の生き物という前提で戦略を立てるべきだ。

 「観光地」の持つ意味はオープンになること。25年後の福島の廃炉作業の現場で、誰がどんな作業をしているか、遠巻きにでも見える状態にしたい。政治家や研究者だけではなく、一般市民が観光客として見に行くことで記憶を風化させない仕掛けをつくる。

 チェルノブイリでは事故地周辺のツアーが企画され、外国人を集めている。福島の廃炉や除染が進むと期待できる四半世紀先を見据えて議論したい。

 ―世界から観光客が広島を訪れますが、核兵器はなくなっていません。

 福島の事故まで日本人は原発を真剣に考えてなかったが、原爆は考えてきた。もしアンケートをとれば核武装すべきだと答える人は少ないだろう。ドームや資料館があり、平和記念式典の映像が毎年流れる。その積み重ねが力になっている。

 核兵器を開発すべきだと考える人でも、広島の原爆は悲惨だと思うことは両立する。でも広島が記憶を伝える場として存在しなければ、世界はもっと悪い方向へ行く。核兵器が廃絶されるかどうかとは無関係に、原爆の記憶は残すべきであり、ドームの存在は重要だ。

 原発があり続けることと事故を記憶することは別の話。原発があろうとなかろうと、福島を記憶しなければならない。

あずま・ひろき
 東京大大学院総合文化研究科博士課程修了。93年に批評家デビュー。「存在論的、郵便的」でサントリー学芸賞、「クォンタム・ファミリーズ」で三島由紀夫賞。10年に出版社を設立し、言論誌「思想地図β」編集長。12年9月、社会学者開沼博らと「福島第一原発観光地化計画」研究会を発足。提案をまとめた書籍を夏に刊行する。

(2013年5月22日朝刊掲載)

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