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社説・コラム

天風録 「ムスタキ」のヒロシマ

 フォークの女王が1967年に来日し、開口一番叫んだ。「私が音楽の話をしに来たと思ったら大間違い」。広島の舞台でも反戦の語りがやまない。でも感動を与えたのは、女王ジョーン・バエズさんの歌だった▲原爆資料館の館長だった故小倉馨さんの随筆集「ヒロシマに、なぜ」にある。おととい、訃報に接したジョルジュ・ムスタキさんも登場する。76年に広島へ。何度も洗濯した木綿のジャンパー姿で「ヒロシマ」を歌った▲広島に来た4年前に発表した。母国フランスも日本も政治の季節が終わろうとしていた。「ヒロシマ」の語は控えめに、16小節の終わりの方に一度だけ出てくる。ヒロシマがもう少し遠くに去って訪れるだろう、平和が―と▲欧州のシャンソン界では名をなしていた。日本ではテレビドラマの主題歌「私の孤独」が既にヒットしていた。なぜヒロシマなのか。当時の本紙には、中東戦争やベトナム戦争に警鐘を鳴らすべく想を練っていたんだ、と▲こんなコメントもあった。「若者とは年齢ではなく一つの生活形態を指す。私もその1人だ」。哲学者のような風貌の永遠の若者よ。長く聴き継がれることを。ヒロシマが歴史になる日まで。

(2013年5月26日朝刊掲載)

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