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社説・コラム

『潮流』 感動の刻みかた

■論説委員 田原直樹

 山々の尾根をどこまでもはう姿は、竜のよう。中国の万里の長城で、人類の壮大な営みを思った。

 しばらく遠望した後、近くの壁に目を移すと、歴史ロマンは一気にしぼんだ。落書きがびっしり。これもまた人間か―。そう諦めてみても、旅の感動は戻らなかった。

 先月、エジプトで同じ思いをした中国人がいたようだ。ルクソール神殿の壁に、刻まれた名前と、中国語「到此一游」を発見。ここに遊びに来たという意味らしい。日本なら「○○参上」の類いか。同胞による落書きを「恥ずかしい」と嘆き、写真とともに中国版ツイッターに発信した。

 すると本国のネット上で「犯人捜し」が始まり、瞬く間に15歳の少年と判明。生年月日や住所が暴露され批判を浴びた。報道によると、子ども時分の家族旅行での仕業らしいが、両親が謝罪する事態に至った。

 文化遺産を傷つける行為は、断じて許されない。しかしネット上で追及され、個人情報を暴かれ、たたかれるとは。

 折しも、中国の副首相がくぎを刺していた。海外での不道徳な行動が国のイメージを損ねている、と。今回、国民が「捜査」や「攻撃」に走ったのは、愛国心や義憤に駆られてのことだろうが、空恐ろしくもある。

 昨年の今頃は、来日する中国人観光客もまだ多かった。羽振りの良さとともに、マナーの悪さが報じられることも。今回の騒動を、それみたことかと受け止める向きがあるだろうか。

 だが日本人も決して胸を張れたものではない。国内の観光地で、心ないハートマークや相合い傘などに出くわし、幻滅させられることがある。

 ネット上で追われ、忘れたい旅にしてしまわぬように。文化財や自然を守り伝える責任と大切さを、肝に銘じて、思い出は心に深く刻みたい。

(2013年6月1日朝刊掲載)

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