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社説・コラム

『潮流』 閖上で思う「復活」

■東京支社編集部長 守田靖

 ことしも春は東北の被災地を訪ねた。昨年行けなかった仙台市から宮城県石巻市へ。仙台空港のロビーでは、あの日の写真、その後の復旧を伝える写真を見た。空港から海岸部に向かうと、見渡す限り家の跡が続く。やりきれないが、家族のだんらんの声が聞こえるようで立ち去りがたい。

 津波の直撃を受けた宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区では、海岸から1キロ以内の家屋は全て流失していた。そこで、40代の男性と知り合った。自分で建てたという看板にかつての閖上の写真を貼り、昔の様子やあの日のことを旅行者に語っていた。

 男性は家族のスナップ写真3枚以外、何も残らなかった。幸い家族は無事だったが、地区では約750人が亡くなった。生まれてから死ぬまで同じ学校に通い、ともに大人になる家族のような地区だったという。「閖上は仙台藩の直轄港で歴史もある」と誇らしげに言った。

 今、住民の3分の1は仮設住宅へ、3分の2は民間のアパートなどに転出した。市は個人情報だとして住まいを教えないため地区がバラバラになった。震災はコミュニティーも崩壊させてしまった。

 名取市は地区の土地を3メートルかさ上げし、再び同じ場所に住宅地を整備する復興計画を立てた。男性は否定的だ。「3メートルぐらいじゃ、子育て中の若い夫婦は怖くて住めない」。ちぐはぐな対応に憤っていた。

 復興計画が進まないため、予算も動きださない。「4千万円で買った家を流された同級生は一生、仮設にいてローンを払い続けると言っています」と男性は情けなさそうに語った。

 「日本は復活した」

 そんな威勢の良い発言は、被災地に血の通った支援ができてから言うべきではないか。中国地方も無関心ではいられまい。復興を、参院選の宣伝文句に終わらせてはいけない。

(2013年6月4日朝刊掲載)

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