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社説・コラム

視点2013 人形論争 「継承」探る契機

原爆資料館 実物重視で撤去方針

悲惨さ どう伝えるか

 原爆資料館(広島市中区)から、展示の見直しに伴い被爆者の姿を再現したプラスチック製人形を撤去すると決めた広島市の方針が論議を呼んでいる。6日、市に方針撤回を求める署名も出された。被爆者の高齢化で体験の継承が困難になると予想される中、資料館はヒロシマをどう伝えていくべきか―。人形論争はそんな問題を投げ掛けている。(田中美千子)

 「撤去に危機感がある。等身大の人形は、被爆の実態を知る上で欠かせない手掛かりになっている」。6日、資料館に1700人分の署名を届けた佐伯区の会社員勝部晶博さん(42)は増田典之副館長に訴えた。

 市が市議会に人形撤去の方針を示したのは3月半ば。市には撤去に反対する電話やメールがこれまでに約200件寄せられた。勝部さんは3月下旬から、インターネットの署名サイトで反対署名を集めた。

 人形は3体。資料館本館に入ってすぐの場所にある。原爆の炎に追われ、がれきの中をさまよう様子を再現。前方に突き出した両腕から皮膚が垂れ下がり、目をそむける子どもも少なくない。

 今の人形は1991年に設置された2代目。先代のろう人形は73年に据えられた。当時は「作り物」に反発する声も多かった。市議会でも「いくら似せても偽物にすぎない」と異論が出た。

被爆者も反対

 撤去問題は、被爆者の間でも受け止めは分かれる。元高校教師でNPO法人ワールド・フレンドシップ・センター前理事長の森下弘さん(82)は、反対の立場だ。「被爆者の原体験を想像してもらいやすい。ショックを受ける子どももいるだろうが、大事な展示だ」

 広島県被団協の坪井直理事長(88)は「今の人形のままでは駄目。実態はもっとひどい」と訴える。「残すなら、いっそのこと人形の数を増やし、よりリアルに原爆被害の悲惨さに迫ってほしい」

 市はなぜ、撤去なのか。「『子どもが怖がるからだろう』との指摘もあるが、それは違う」。増田副館長は説明する。

 市は2004年から資料館の耐震化に合わせ、展示見直しの議論を始めた。10年に有識者の検討委員会がまとめた基本計画には「事実をストレートに伝える実物資料の展示を重視する」とした。

 「遺品や写真などを増やし、被爆の実態を正しく伝えたい」と増田副館長。リアリティーとともに、被爆者や遺族の悲しみを伝えることにも力を注ぐ、という。被爆で亡くなった人の遺品に遺影や被爆状況の説明文などを添えたコーナーを新設するのも、その一環だ。

 市民からの署名提出には「関心の高さには感謝するが、議論を積み、まとめた方針にも重みがある」と述べ、撤回の考えがないことをにじませた。

「全体像示せ」

 九州大大学院の直野章子准教授(社会学)は「遺品を通し、人を見せる趣向はいい。見る側の想像力に働き掛ける」と評価する一方で、「改修後、何を伝えようとするのか。市は全体像をより分かりやすく示すべきだ。対話を重ね、いい案は取り入れる柔軟さもほしい」と指摘する。

 市は本年度から資料館の改修に着手し、18年度の全面リニューアルを目指す。人形は16年度にも撤去する方針でいる。

 被爆を証言できる人が年を追うごとに少なくなっていく。想像を絶する体験をどうつなぐか。歴史を伝える資料館はどうあるべきか。人形を撤去するのなら、活用方法はないのか。人形論争を機にいま一度、じっくり考える必要がある。

原爆資料館の展示見直し計画
 資料館本館の耐震改修に合わせ、2004年から有識者でつくる市の検討委員会で議論を始めた。市民意見も募り、10年7月に基本計画を決定。委員を一部入れ替えた検討会議はことし3月、遺品など実物資料約200点を効果的に配置することを盛り込んだ詳細計画をまとめた。13~15年度に東館、16~17年度に本館の工事をし、18年度の全面リニューアルを目指す。

(2013年6月7日朝刊掲載)

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