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社説・コラム

宇部の堀雅昭さん 井上馨の評伝出版 非戦貫いたリアリスト

 明治の元老井上馨(かおる)の評伝「井上馨―開明的ナショナリズム」が、宇部市の文筆家堀雅昭さん(51)の手で書き下ろされた。「長州ファイブ」の一人に数えられながら、後に「資本主義の権化」とみなされ、人物評は芳しくない。だが堀さんは「国力とは武力ではなく豊かさだと、彼は信じた。生涯、革命家だった」とみる。(佐田尾信作)

国益を優先 悪評の遠因に

 堀さんが馨に関心を持ったのは、2010年の「靖国の源流」の出版がきっかけ。靖国神社初代宮司だった長州人青山清は自身の先祖に当たるが、青山、井上両家がともに芸州出身で近しい間柄であることを知る。

 だが、馨の子孫を取材して、彼らには先祖が「遠い存在」になっていることに驚いた。馨の孫に古代史の泰斗井上光貞もいたが、馨を書くことは生涯なかったという。

 堀さんは「海音寺潮五郎が『悪人列伝』に書くなど、戦後の文化人の受けが悪かった」とみる。貪官汚吏だ、大資本と結託した…。この悪評はどこに遠因があったのか。

 幕府が欧米諸国と結んだ不平等条約の改正をライフワークにした馨は、造幣局の創設、三井物産や第一国立銀行の創業などにも力を注いだ。これが製鉄や炭鉱など近代産業の興隆につながる。

 だが、そこにはカネにまつわるうわさがつきまとう。馨の「鹿鳴館(ろくめいかん)外交」は国権派の玄洋社に攻撃されたが、その後、玄洋社の資金源のため炭鉱の払い下げに動いた。主家毛利の財産整理に当たったこともそうだ。「世外(せがい)」と号して政務の途中で雲隠れし、「黒幕」ともささやかれた。

 しかし、馨がリアリストだったがための誤解も多いと、堀さんは読み解く。馨は欧化・近代化で列強と対等になることが、条約改正への道だと考えた。そのためには鹿鳴館だけでなく隣に帝国ホテルを建てたり、キリスト教精神に基づく同志社大の創設にも肩入れするほどだった。「これは開明的ナショナリズムと呼んでいいでしょう」

 馨が日清、日露の二つの戦争で非戦論を唱えていたことにも着目した。特にロシアとは協商締結へと動き、幸徳秋水ら社会主義者と主張が似通っていたため、斬奸(ざんかん)状を送られたほど。だが、戦争が不可避と分かると、戦費調達へと動いた。

 堀さんは「いかに外国と摩擦を少なくするか、馨は考えた。尖閣諸島の領有も清を刺激するのは国益に反すると、棚上げしています」と明かす。

 馨は日清講和後に起きた朝鮮王妃閔妃(ミンビ)暗殺の黒幕とも目された。評伝ではこうした部分の言及に物足りなさが残るが、近代史の節目と馨の関係を史料と取材から丹念に追った労作と言っていい。

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 「井上馨―開明的ナショナリズム」はA5判、320ページ、2520円。福岡市・弦書房刊。

井上馨(1835~1915年)
 周防国湯田村(現山口市)生まれ。20代で倒幕運動にくみし、伊藤博文ら長州ファイブの一員として渡英。維新政府では造幣頭、蔵相、外相などの要職を歴任したが、首相に指名されることなく元老として振る舞った。

(2013年6月13日朝刊掲載)

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