×

社説・コラム

『記者縦横』 上関原発 早期に結論を

■柳井支局 久保田剛

 柳井市から山口県上関町の中心部まで約20分。陽光きらめく瀬戸の海沿いを車で走るたびに思う。「もし原発計画がなければ、どんな町になっていただろう」。静かな海とは対照的に、町は計画に揺れ続けている。

 中国電力の原発建設計画が浮上したのは1982年。以来約30年間、町民は推進派と反対派に割れてきた。福島第1原発の事故で原発に懸念を抱く人が増えても、両者の溝は簡単に埋まるほど浅いものではない。

 町人口は30年で半減し、高齢化率は5割を超えた。昨年度まで町に入った原発関連交付金は約70億円。町は温浴施設を開業し、文化センター、特産品直売所も着工する。「原発財源を生かした活性化」を目指す推進派は「古い原発を廃炉にすれば、最高の安全基準を満たした原発が要る」と言う。反対派は「計画撤回まで闘う」と誓う。

 推進派を引っ張るベテラン町議は、写真と子どもが好きなおじさんだ。工事のたびに「中電は帰れ」と叫ぶ祝島の女性も、普段は自然と海を愛する、話し好きなおばあちゃん。「原発―」と口にするとき、彼らの表情が一転して険しくなるのを何度見てきたか。町を立て直したい思いは共通でも、胸襟は開けない。

 理由の一つは、エネルギー政策の将来ビジョンと、そこに至る道程を示す確固たる政策が存在しないことにある。上関をどうするのか。国は早期に結論を出すべきだ。二つに裂かれた町が一つになって歩みだす時が、一日も早く来るために。

(2013年6月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ