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社説・コラム

社説 沖縄慰霊の日 県民の痛み もはや限界

 筆舌に尽くせぬ犠牲をもたらした沖縄戦の組織的な戦闘が終わって68年。沖縄はきのう「慰霊の日」を迎えた。

 米軍の本土上陸を遅らせるために、兵士だけでなく住民も「盾」となるよう強いられた。その地上戦により、日米で20万人以上の命が奪われた。

 しかも米軍施政下を経て本土復帰を果たした沖縄に、今なお在日米軍基地が集中する。県民が「戦争と隣り合わせ」と感じる日常がそこにある。

 糸満市であった県主催の沖縄全戦没者追悼式で、安倍晋三首相は「沖縄の負担を少しでも軽くするよう全力を尽くす」と誓った。だが具体策には触れずじまいで、県民の期待が高まったとは思えない。

 直前の「平和宣言」で仲井真弘多知事は「平和主義の堅持を強く望む」と述べた。その深く重い意味を、間近の首相はどう受け止めただろう。

 この1年間、沖縄は日本の平和主義の揺らぎばかりを見たのではなかろうか。

 県外移設を求める県民の思いとは裏腹に、米海兵隊普天間飛行場に昨年秋、垂直離着陸輸送機オスプレイが配備された。しかも日米が合意した飛行ルールは一向に守られず、今年夏以降には追加配備される計画だ。

 米兵の犯罪もやまない。それでも身柄の拘束などで差別的な日米地位協定の改定に、両政府が動く気配は見当たらない。

 そうした実態と無関係とは思えないニュースが最近、地元で報じられている。

 沖縄戦の体験者の約4割が深刻な心の傷(トラウマ)を抱え、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の可能性が高いことが、医師や保健師らの調査で分かったという。

 戦禍を生き延びた人たちの記憶はなお、痛々しいまでに鮮明であろう。さらに基地周辺で鳴りやまぬ戦闘機のごう音が、忘れようにも忘れられない心の痛みを呼び覚ますのだろう。

 沖縄県に属する尖閣諸島をめぐる緊張も、友好とは程遠い東アジアの現実を見せつける。

 自民党は、自衛隊にオスプレイを導入し、水陸両用部隊を新設するよう政府に提言した。呼応するかのように自衛隊は今月、離島奪還を想定した米軍との共同訓練を始めている。

 もちろん覇権主義的な中国の行動は到底容認できない。半面、日本の動きが隣国をいっそう刺激しているのも確かだ。

 そもそも敵地に真っ先に上陸するのが米海兵隊の主要任務である。では、あの陸地部の狭い尖閣に戦闘要員を送り込んで、いったい何ができよう。沖縄のオスプレイが真の抑止力かどうか、議論を呼ぶゆえんだ。

 仮に自衛隊にオスプレイを導入するのであれば、普天間の存在意義はさらに薄らぐ。日米両政府は行き詰まった県内移設ではなく、グアムなど国外移転を真剣に検討すべきではないか。

 外交手段を尽くしての平和の追求よりも、集団的自衛権を認め、平和憲法を改める。知事の言葉は県民の声を代表し、安倍政権の基本姿勢に疑問符を突き付けたとも言えそうだ。

 あるいは知事は本土の私たちに問いかけたのかもしれない。このところ沖縄を顧みない風潮が強まっていないか、国民の誰もが当事者意識を持って県民の痛みを感じているのかと。

(2013年6月24日朝刊掲載)

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