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社説・コラム

『記者縦横』 巡りくる「あの日」自問

■東京支社 藤村潤平

 「病気になって昔のことを思い出しにくくなっても、体が弱っても、被爆者はあの日のことを絶対に忘れていない」。今月上旬、東京都内であった日本被団協の総会。病床の被爆者から体験を聞き取る活動を始めたという参加者の言葉にはっとした。

 あの日―。原爆が落とされた日を指すこの言葉は、被爆者にとって特別なのだとあらためて感じた。目に焼き付けた光景や込み上げた感情を包み、命を一瞬にして奪われた肉親や友の無念さを思い返す言葉として。

 広島以外にも「あの日」はさまざまなところにある。福島第1原発事故を引き起こした東日本大震災の2011年3月11日や、米中枢同時テロの01年9月11日…。多くが共有した体験へのえも言われぬ思いが、その言葉に宿る。

 そこで、ふと気付く。私たちが68年前の、自分自身が体験していない事柄を「あの日」と表現していることに。そして、その言葉を口にするとき、胸がキュッと締め付けられることに。

 未曽有の被爆体験をどう継承していくか。真正面から問われても、すらすらと答えられない。一方で、残された時間はもうわずかしかない。焦る気持ちが募る中、あまりに重いテーマに記者として立ちすくんでいる時も正直ある。

 それでも、自分の中に確かに存在する「あの日」という言葉を信じたい。そこに希望があるかもしれない。ことしも巡ってくる夏に向き合う。

(2013年6月24日朝刊掲載)

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