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社説・コラム

社説 ’13参院選 憲法改正 国のかたち問うてこそ

 この国の最高法規を変えるのか、それとも変えないのか。参院選は国政選挙としては初めて憲法改正が本格的な争点に浮上している。

 仮に改憲派が3分の2以上を占める結果となれば、衆院とそろって改正を発議できる。以前に比べ現実味が増したからだ。

 先月上旬、日本世論調査会が行った憲法についての調査で、「改正の必要がある」とする意見が6割を占めた。時代の変化と最高法規との間に、ずれが生じているとの認識が国民に定着しつつあるといえよう。

 一方、発議要件を定めた96条改正には過半数が「反対」だった。こちらの意味も重い。

 どの条文をどう変えるのか、何を加え、何を削除するのか、あるいは変えてはならないのはどこか。国民の多数意見は、条文ごとに論議を深めようということなのだろう。

 中国地方の全候補者22人に尋ねた本紙アンケートでも、おおむね同様の考えがうかがえる。

 改憲賛成は12人と過半数だった。ただ96条改正については合わせて13人が慎重または反対の立場を示したほか、賛成とした候補者からも、中身の議論が不可欠との意見が目立った。

 ここは有権者として各候補、各党の具体的な訴えをしっかり吟味しよう。一人一人が原点に立ち返り、憲法とどう向き合うべきかを見つめ直す。この選挙を、そんな機会にもしたい。

 憲法の理念と現実とのギャップが広がっているのは間違いない。とはいえ、この国の現状に最高法規を合わせれば、それで事足りるだろうか。

 東日本大震災からの復興は遅れている。仮設住宅に暮らし、古里に戻れない被災者にとって、健康で文化的な最低限度の生活を保障した憲法25条は空約束に聞こえるに違いない。

 格差が拡大する中で、学校給食費の支払いに不自由する世帯が増えている。貧困は抜け出しにくく、親から子、孫へと連鎖しがちだ。25条のほか、幸福を追求する権利は最大限尊重されるとの13条を、子どもたちはどう受け止めるだろう。

 被爆地広島からすれば、前文と9条に凝縮された平和主義も、失ってはならない現行憲法の輝きにほかならない。座して平和が訪れる国際情勢ではない。それでも、同盟国の戦争に加担できるようにすることが唯一無二の選択肢だろうか。

 歳月を経ても色あせない憲法の理念は少なくない。それを思うとき、改憲を発議できる国会の姿勢が気掛かりでならない。

 司法から繰り返し、違憲あるいは違憲状態と指摘された衆院の「1票の格差」是正に、先の国会はすったもんだの揚げ句、やっと重い腰を上げた。

 これでは国会議員が自ら、憲法を軽んじる風潮を強めていると批判されても仕方あるまい。

 憲法を変えさえすれば全てがうまく運ぶ。この国の現実がそれほど甘くはないことは、どの候補者も分かっていよう。

 公正で公平な社会を築くには何が不足し、それを埋めるために政治はどんな役割を果たすというのか。主権者である国民の権利と義務、さらには国家との関係をどう位置付けるのか。

 まずは、この国のかたちについての議論から始めたい。そこが欠けては、1票を託す選択基準も見えてこない。

(2013年7月7日朝刊掲載)

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