×

社説・コラム

天風録 「民の言の葉」

 長崎原爆が奪った人の肉体の総面積という。「115500㎡の皮膚」と、山口仙二さんは自伝に題を付けた。自身も右上半身を焼かれたが、九死に一生を得る。かの地で原水禁運動にその身をささげた。先週末、訃報が届く▲被爆後、郷里へ向かうフェリー。寝転ぶ乗客たちが死屍(しし)累々の光景に重なり、山口さんはふと思った。人一人が失った皮膚は畳半分か。ならば犠牲者、負傷者で7万枚にもなろう。だが人生のゆがみは測りようがない、と▲あの日から37年を経て、米ニューヨークの国連軍縮特別総会で演説する機会を与えられた。生き残った者にとっても、むごい時代があった。筆舌に尽くせぬ半生を、わずか10分で語れるはずもない▲「私が詩人ならいいのですが…」。渡航を控えた当時、本紙にそう語っていた。だが「私の顔や手をよく見てください」という山口さんの叫びは今、紙碑に刻まれている。詩ではなくても民の言の葉だから▲本紙連載「ピカの村」が始まった。広島の旧川内村では70人以上の主婦たちが夫を奪われた。「川に飛び込もうかと思うた」との証言も。残された人たちの辛苦を思う。被爆68年の夏。民の言の葉を紡ぎ続けたい。

(2013年7月9日朝刊掲載)

年別アーカイブ