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社説・コラム

『言』 平和主義と正戦論 対話の土俵 つくりたい

◆島根大准教授・政治哲学者 松元雅和さん

 平和を愛さない人はまずいない。しかし平和主義となると解釈は多岐にわたり、正しい戦争も時に認める正戦論が「世界標準」だという。隣国との緊張関係、憲法改正論議の浮上…。日本の平和主義は危ういのか、それとも今も有効なのか。政治哲学者の松元雅和・島根大教育学部准教授(35)は「平和主義とは何か」(中公新書)を著し、検証を試みた。松元さんに聞いた。(聞き手は論説副主幹・佐田尾信作、写真・松島岳人)

 ―著書によると、平和主義は一言では語り尽くせませんね。
 キリストの教えを起源に、トルストイらが説いたのが絶対平和主義(パシフィズム)です。対して19世紀前半、ナポレオン戦争などの終結後に起きた欧米の平和運動に由来するのが、平和優先主義(パシフィシズム)です。「ラッセル・アインシュタイン宣言」で知られる英国の哲学者B・ラッセルらがその流れにあり、戦後の相互依存論にもつながります。

 ―日本人にはなじみが薄い分類ですが、どんな説明を。
 どちらかが正しいというものではない。絶対平和主義は個人の生き方であり、平和優先主義は政治的選択としての非暴力の教えです。植民地放棄論でもあり、「戦争は結果として割に合うかどうか」と考えます。

 ―近代日本には平和優先主義といえる政治家はいますか。
 「幣原(しではら)外交」の幣原喜重郎や「小日本主義」の石橋湛山(たんざん)がそうでしょう。幣原は欧州で起きた第1次大戦後、外交官や外相として国際協調路線を貫きます。戦後すぐに首相を務め、軍事費が不要なら諸外国に比べて有利な立場に立つ、と憲法制定に際して演説しました。

 ―正戦論というキーワードも著書に頻繁に出てきます。
 「戦争は時に正しく時に不正だ」と考える思想で、ナチス・ドイツの台頭を許した反省から第2次大戦後の世界は正戦論がスタンダードです。国家の自衛を固有の権利と認めた国連憲章も正戦論に近く、必ずしも平和主義と対立しません。

 一方、ブッシュ政権とネオコン(新保守主義)が始めたイラク戦争を米国内の多くの正戦論者は批判しました。平和主義と正戦論の対話の土俵をつくるために、私も本を書いたのです。

 ―「核なき世界」を掲げるオバマ大統領も正戦論者ですか。
 そうですね。先日の戦略核弾頭削減に関するベルリン演説でも核を抑止力とする発想からは逃れていない。超軍事大国が直ちに平和主義を受け入れるのは難しい。正戦論の枠内で武力を規制する。それも選択肢の一つでしょう。私は否定しません。

 ―同じノーベル平和賞受賞者には、キング牧師のような非暴力の先人もいますが。
 2009年の授賞式でオバマ氏は「ガンジーとキングのお手本だけに導かれるわけにはいかない」と演説しました。彼らと並び称されるのは光栄だが自分の考え方は違う、という文脈です。私はそう受け止めます。

 ―日本では憲法9条がかつてなく議論になっています。
 自民党の改正草案は9条1項の平和主義の精神を継承するとしながら、2項で国防軍を位置付けています。侵略戦争は放棄するが、自衛の戦争はあり得るという論旨。これは正戦論そのものではないでしょうか。

 ―日本でも正戦論がスタンダードになる可能性があると。
 ですが、正戦論も平和主義も「侵略戦争は許されない」という立場は同じです。では日本の平和主義の独自性とは何か。世界各地の人道危機に対処することなどがありますが、そのために軍隊を持つ「普通の国」になる必要はないと思います。

 ―直ちに9条を改正する必然性はないわけですね。
 そうです。現実の自衛隊には抑止効果があることを私も認めますが、日米同盟に基づく集団的自衛権の行使にはコストがかかるデメリットがあります。

 ただし中国がさらに膨張主義に突き進み、日本が9条改正を検討するなら、何をもって国家権力の濫用(らんよう)を縛るのか、明確にしておかなければなりません。歴史を見ても軍事費は例外扱いされやすいものです。憲法は王権を制約した成り立ちにのっとって常に権力への縛りを強める方向であるべきです。

まつもと・まさかず
 78年東京都大田区生まれ。慶応大大学院法学研究科政治専攻博士課程修了。12年から現職。博士(法学)。専門は政治哲学、政治理論。小林よしのり「ゴーマニズム宣言」で政治に興味を持つが、その後の作風には批判的。他に著書は「リベラルな多文化主義」など。松江市在住。

(2013年7月10日朝刊掲載)

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