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社説・コラム

天風録 「月命日」

 「あおぞら」というFM局が被災地宮城の亘理町にある。帰らぬ300人近い名前を月命日の11日に読み上げてきた。耳に刻む碑(いしぶみ)。「隣は何をする人ぞ」の都会とは一人一人の近しさが違うのだろう▲月命日の日課はさまざまあるらしい。県警や海保は行方知れずとなった人々の捜索に充てる。電力漬けの生活を見直しがてら、弔いのろうそくをともす市民もいる。「忘れない」の原点はどれも同じ▲電力業界のとりこ―。原発事故の温床を国会調査委がえぐってみせたのは1年前の今頃だった。先日の再稼働申請には、またぞろの感が拭えない。あくまで原子炉の「安全」審査にすぎない。そばに暮らす住民の安全は置き去りになっていないか▲「不安解消や安全よりもお金を優先ということか」。柏崎刈羽原発の再稼働を願い出た東電を、新潟県知事は歯に衣(きぬ)着せず追い返した。ほかの立地自治体はといえば、なぜか音無しの構えにとどまる▲震災2年を境にFMあおぞらは月命日の番組を被災地の今に焦点を移した。名前の読み上げは3月11日に続けるという。復興も原発も次から次へと片が付く代物ではない。「忘」と同じく「忙」の字は、心を亡くすと書く。

(2013年7月11日朝刊掲載)

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