×

社説・コラム

天風録 「望郷の鶴」

 拙宅の「昭和萬葉集」を久々、ひもといた。敗戦後、旧ソ連に抑留された日本兵たちが渡り鳥を詠じていないか探すと、一首見つかった。「渡り鳥落しゆきたる羽根ひろひ送るすべなき便りまた書く」(鯉沼昵(むつみ))▲あまたの兵がたおれた酷寒の地。とらわれの身で祖国に届かぬ手紙をつづる。93歳の弘中数実翁もかつて同じ境涯にあった。山口県八代盆地で35年間監視員を務めた飛来ナベヅルの生き字引。先週末、訃報を聞く▲この地の生まれ。抑留された中央アジアでは草原のツルの群れを見て、故郷の山水と米が恋しくなった。同郷の俳人亘理(わたり)寒太の誘いで俳句を始め、「鶴」を盛んに詠む。朝な夕な、監視員の仕事は人生そのものだった▲だが戦後、山奥の田は打ち捨てられ、ねぐらにするナベヅルは減り続ける。翁は昨秋、「ツルよ来い」と呼び掛ける地元小の集まりで子らに語った。「新しいツルが来たら観察し、守ってください」と。もう、その温顔はない▲猛暑の中、広島の「原爆の子の像」では折り鶴を観光客に手ほどきする若者の姿がある。鶴に託す人それぞれの思い。凍土の地獄も、焦土の地獄も二度とごめんだ。翁ならそう言うだろうか。

(2013年7月15日朝刊掲載)

年別アーカイブ