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社説・コラム

『この人』 平和記念式典で平和の鐘を突く遺族代表 佐古田史織さん

大役へ 祖父の願い胸に

 「これから生まれてくる子どもたちに、同じ悲しみを味わわせてはいけない」。3年前に81歳で亡くなった入市被爆者の祖父義弘さんが、原爆について語った数少ない言葉だ。その思いを胸に8月6日、広島市の平和記念式典でこども代表の小学生と一緒に平和の鐘を突く。

 あの日。16歳だった義弘さんは、現在のJR芸備線矢賀駅(東区)近くで列車に乗っていた。「呉海軍工廠(こうしょう)へ向かう途中だった」と話していたのを覚えている。だが、その後に体験したことはかたくなに口をつぐみ続けた。

 5月に市から遺族代表となるよう依頼があった。30代が選ばれたのは地域の推薦に加え、被爆体験や平和への願いを若い世代に引き継いでもらう狙いから。祖母初江さん(82)も被爆者の救護に当たった被爆者だった。

 広島経済大(安佐南区)の事務職員。現在まで平和活動に携わった経験はない。「大役に不安でいっぱい。祖父母が体験した悲しみの大きさをあらためて考えさせられた」

 義弘さんの記憶をたどることは、もうできない。遺族代表に決まった後、初江さんから旧制向原高等女学校(現向原高、安芸高田市)時代、体育館に搬送された負傷者を救護した体験を聞いた。だが詳しいことはやはり、言葉を濁された。

 この夏、もう一度初江さんに「聞かせてほしい」と掛け合ってみるつもりだ。「原爆が何をもたらしたのか事実を知り、伝えたい。未来の子どもたちに悲しみを味わわせないために」。義弘さんの言葉を反すうした。安佐北区在住。(門脇正樹)

(2013年7月17日朝刊掲載)

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