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社説・コラム

『潮流』 設計図と残骸

■論説副主幹 佐田尾信作

 宮崎駿監督の新作アニメ「風立ちぬ」の冒頭、関東大震災の地響きはまがまがしい。人の声を効果音に使っているからだ。その後の暗い時代を予感させる。

 主人公は零戦設計者の堀越二郎。この関東大震災に始まり、金融恐慌、日中戦争、太平洋戦争と続く激動を生きた実在の人物だが、零戦の戦闘場面はほとんどない。おびただしい設計図と残骸だけが印象的だ。

 客席には孫を連れた祖父母と思える家族が目についた。上映後、「難しかったかな」と尋ねる声も。日ごろ慣れ親しむテレビゲームとはおよそ縁遠いからか。

 監督は「わかりにくさ」を覚悟で、時代背景を説明するような言葉を省いたのだろう。その方が伝わる何かがきっとあるのだ。

 映画に触発され、「祖父たちの零戦」という本を読み直した。3年前、著者の写真家神立尚紀さんに取材したことがある。零戦初の空戦を指揮した広島の進藤三郎氏ら元搭乗員の証言を聞いて歩いた労作だ。

 空戦の目的で開発された零戦は戦局が悪化すると爆装機として特攻作戦に投入され、落日を迎える。ただ大空を飛びたい一心だった搭乗員にとって、「決戦」の2文字は対極にあるものだったという。

 堀越も美しい飛行機を造りたかっただけだ。リベットなどを工夫していかに機体を軽くし、より速く飛ばすか。設計者たちの夜の勉強会で堀越は「機関銃を載せなきゃもっと軽い」と言い放って、座を沸かせる。監督はこんなところにさりげなく不戦のメッセージを込めたのか。

 ただ飛行機に乗りたい、ただ美しい飛行機を造りたい、という無垢(むく)な気持ちは必ずや、時代に押し流される。そのこともまた、監督は表現したかったのだろう。美しい日本の風景と日本人を描いてはいるが、それだけではないような気がしてならない。

(2013年7月27日朝刊掲載)

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