『論』 江戸の軍縮に学ぶ 核廃絶に応用しよう
13年8月5日
■論説主幹 江種則貴
このところNHK大河ドラマ「八重の桜」を見ては、幕末の動乱の激しさに思いを巡らせている。歴史の不思議をあらためて感じることも。
その一つが鉄砲だ。16世紀半ば、種子島に伝来した。威力に誰もが驚き、たちまち国内生産が進む。戦場の光景は一変した。戦国の乱世から天下統一へと時代を大きく進めた火器は、日本の優れた技術力の象徴でもあった。
なのに、それから300年もたった日本で、八重はなぜ銃口から弾を込める時代遅れの火縄銃で訓練したのだろう。もし会津藩が最新の洋式銃を大量に調達できていれば幕末史も八重の運命も変わっていたのではあるまいか。
天下太平だったから―。江戸時代に武士が刀剣へと回帰し、西洋に比べて鉄砲生産の技術革新が一向に進まなかった理由を一言に縮めれば、そうなるだろう。
さらに掘り下げた米国人がいた。英米文学教授ノエル・ペリン氏。米国と旧ソ連がしのぎを削った東西冷戦時に、「鉄砲を捨てた日本人」を出版した。
事実誤認が多いなどとして評価は分かれるが、そこを差し引いて読めば面白い。日本の江戸時代に学び、核軍縮に応用できないか、という執筆の意図もユニークだ。
幕府の統制はそれとして、武士が鉄砲より刀剣を大事にした理由についてペリン氏は概略をこう推察する。
まず、刀は武士の魂、プライドの象徴であり、腹ばいになって鉄砲を構えることは美学からも許されなかった。西洋人への反感が根強く、鉄砲はそのシンボルだった。さらに日本は地理的にも諸外国の攻撃を受けにくく、高い防衛力は必要とされなかった。
訳者である川勝平太氏(現静岡県知事)は別の書物で、もう一つの理由を加えている。朱子学(儒学)を背景に幕府は力による支配よりも、徳による統治を志向したと。
残念なことにペリン氏は、核軍縮への応用には筆を進めていない。
しかし戦後このかた、保有がステータスと言わんばかりに各国は核開発を競ってきた。科学技術も立ち止まることなく、その威力を高めた。原爆投下から間もなく68年。ここはペリン氏の文脈を借り核廃絶について考えたい。
「刀」を「通常兵器」、「鉄砲」を「核兵器」に置き換えればイメージを結びやすい。
核兵器は何物をも一気に破壊する。敵を欺く戦略を駆使するのが職業軍人のプライドとすれば、本来は最も使いたくない兵器ではなかろうか。防御もまず不可能だ。
核と通常兵器のどちらに「徳」があるか、との問いに意味はなかろう。とはいえ、核兵器は民間人を巻き添えにするのが必定。放射能は後々まで人間性をむしばむ。核兵器廃絶は、人道に反する極め付きの兵器だという認識を世界が共有することが出発点であり、核兵器禁止条約こそ、その道筋を照らすはずだ。
理想論と言われるだろう。平和の実現が先でもある。だとしても、科学技術が開いた核という「パンドラの箱」を閉じる知恵はないものか。
ペリン氏は著書の結びにこう記す。現代と江戸時代とは様相が大きく異なるにしても日本の経験は二つのことを証明する。すなわち、ゼロ成長の経済と中身の豊かな文化的生活は両立し得る。そして人間は、受け身のまま自分のつくりだした知識と技術の犠牲になる存在ではない―。
「3・11」後の今こそ、示唆に富む言葉と思えてならない。軍備や科学技術の行方は私たちの日々の暮らし方と密接に関わる。ペリン氏はそう言いたかったに違いない。
(2013年8月1日朝刊掲載)
このところNHK大河ドラマ「八重の桜」を見ては、幕末の動乱の激しさに思いを巡らせている。歴史の不思議をあらためて感じることも。
その一つが鉄砲だ。16世紀半ば、種子島に伝来した。威力に誰もが驚き、たちまち国内生産が進む。戦場の光景は一変した。戦国の乱世から天下統一へと時代を大きく進めた火器は、日本の優れた技術力の象徴でもあった。
なのに、それから300年もたった日本で、八重はなぜ銃口から弾を込める時代遅れの火縄銃で訓練したのだろう。もし会津藩が最新の洋式銃を大量に調達できていれば幕末史も八重の運命も変わっていたのではあるまいか。
天下太平だったから―。江戸時代に武士が刀剣へと回帰し、西洋に比べて鉄砲生産の技術革新が一向に進まなかった理由を一言に縮めれば、そうなるだろう。
さらに掘り下げた米国人がいた。英米文学教授ノエル・ペリン氏。米国と旧ソ連がしのぎを削った東西冷戦時に、「鉄砲を捨てた日本人」を出版した。
事実誤認が多いなどとして評価は分かれるが、そこを差し引いて読めば面白い。日本の江戸時代に学び、核軍縮に応用できないか、という執筆の意図もユニークだ。
幕府の統制はそれとして、武士が鉄砲より刀剣を大事にした理由についてペリン氏は概略をこう推察する。
まず、刀は武士の魂、プライドの象徴であり、腹ばいになって鉄砲を構えることは美学からも許されなかった。西洋人への反感が根強く、鉄砲はそのシンボルだった。さらに日本は地理的にも諸外国の攻撃を受けにくく、高い防衛力は必要とされなかった。
訳者である川勝平太氏(現静岡県知事)は別の書物で、もう一つの理由を加えている。朱子学(儒学)を背景に幕府は力による支配よりも、徳による統治を志向したと。
残念なことにペリン氏は、核軍縮への応用には筆を進めていない。
しかし戦後このかた、保有がステータスと言わんばかりに各国は核開発を競ってきた。科学技術も立ち止まることなく、その威力を高めた。原爆投下から間もなく68年。ここはペリン氏の文脈を借り核廃絶について考えたい。
「刀」を「通常兵器」、「鉄砲」を「核兵器」に置き換えればイメージを結びやすい。
核兵器は何物をも一気に破壊する。敵を欺く戦略を駆使するのが職業軍人のプライドとすれば、本来は最も使いたくない兵器ではなかろうか。防御もまず不可能だ。
核と通常兵器のどちらに「徳」があるか、との問いに意味はなかろう。とはいえ、核兵器は民間人を巻き添えにするのが必定。放射能は後々まで人間性をむしばむ。核兵器廃絶は、人道に反する極め付きの兵器だという認識を世界が共有することが出発点であり、核兵器禁止条約こそ、その道筋を照らすはずだ。
理想論と言われるだろう。平和の実現が先でもある。だとしても、科学技術が開いた核という「パンドラの箱」を閉じる知恵はないものか。
ペリン氏は著書の結びにこう記す。現代と江戸時代とは様相が大きく異なるにしても日本の経験は二つのことを証明する。すなわち、ゼロ成長の経済と中身の豊かな文化的生活は両立し得る。そして人間は、受け身のまま自分のつくりだした知識と技術の犠牲になる存在ではない―。
「3・11」後の今こそ、示唆に富む言葉と思えてならない。軍備や科学技術の行方は私たちの日々の暮らし方と密接に関わる。ペリン氏はそう言いたかったに違いない。
(2013年8月1日朝刊掲載)