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社説・コラム

8月6日に寄せて 問われる「被爆国」の立場 田城 明(ヒロシマ平和メディアセンター長兼特別編集委員)

 広島・長崎への原爆投下から68年。被爆地広島では「原爆の日」を前に、海外からの参加者を含め、例年にも増して核なき平和な世界の実現を願って多彩な催しが行われた。

 いくつもの平和コンサート、アート展、シンポジウム、平和市長会議、原水禁大会、体験継承の集い、草の根市民による反核集会…。多くの人々によるこうした取り組みに私は希望を見いだしながらも、重い気分をぬぐえないで6日を迎えた。というのも、病気や老いにむち打ちながら、人々に体験を語り続ける何人もの被爆者から、日本政府に対する不信や怒り、諦めにも似た嘆きを頻繁に耳にするようになったからだ。

 「生き残った者の務めとして、核兵器廃絶に少しでも役立てばと思って被爆証言を続けてきました。でも、私らの思いは政府に届かないのでしょうか…」「事故原因を含めフクシマの問題は何も解決していないのに、海外に原発を売り込むなんて信じられない」

 「ホンネを言えば、平和憲法を変えようとする安倍晋三首相には、原爆慰霊碑の前に立ってほしくありません」。原爆で姉を亡くした広島市東区の女性被爆者(76)は、率直にこう言った。彼女の姉をはじめ、平和記念公園内の原爆慰霊碑に納められた原爆死没者名簿には、これまでに亡くなった28万人以上の被爆者の名前が記帳されている。同じ公園内の原爆供養塔には、身元の確認さえできない約7万体の遺骨が、今も地下の納骨室で眠っているのだ。

安らかに眠って下さい
   過ちは
繰返しませぬから

 原爆慰霊碑に刻まれた碑文には、核兵器廃絶や戦争否定だけでなく、地球上のどこにおいても「新たなヒバクシャを生まない」という誓いが込められている。

 東京電力福島第1原子力発電所で炉心溶融事故が起きて3カ月後の2011年6月。作家の村上春樹さんは、スペイン・バルセロナであった文学賞授賞式の受賞スピーチで、この碑文を紹介して言った。「我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません」と。

 広島・長崎の原爆体験によって日本人に植え付けられた核アレルギー。村上さんは、その核アレルギーを「妥協することなく持ち続ける」ことで、「核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだった」とも述べた。

 しかし、日本が原発導入に乗り出した1950年代の日本人の「核」意識は、軍事利用である核兵器にのみアレルギー反応を示した。平和利用という名の原発については、物理学者ら専門家の多くも、そして私たちメディアも、人類の未来に平和と繁栄をもたらす「夢のエネルギー」として肯定的にとらえた。放射線の人体への影響を身をもって知る被爆者も例外ではなかった。

 福島原発事故が起きるまで、一部の被爆者を除き、証言活動の中で原発について触れることはなかった。「地球被曝(ひばく)」と形容された1986年のチェルノブイリ原発事故でさえ、あまりに遠い出来事で危険についての実感が伴わなかったという。

 だが、福島の原発事故は違った。原子炉建屋の爆発をテレビで目撃した被爆者は、「日本人は、広島・長崎に次いで三つ目の原爆を体験しているように感じた」と言う。

 「核兵器にだけ関心を向けてきて、原発のことはあまり考えてこなかった」「事故が起きるまで、原子炉になぜ水を入れるのかさえ知らなかった」

 反省の言葉を口にした多くの被爆者。彼らは原発の危険性についてあらためて学び、証言の在り方を模索した。自らの被爆体験を伝えることが、証言の中心であることは今も変わらない。が、「3・11」以後は、原発についての自身の考えも述べるようになった。

 それだけに、昨年末の安倍晋三内閣誕生後の原発政策に強い違和感を覚えているのだ。原子力産業界の意を受けた安倍首相は、原発輸出を「成長戦略」に位置づけ、サウジアラビアやアラブ首長国連邦、トルコなど地政学的に不安定で、核技術も人材もそろっていない国々にトップセールスをかける。特に、核拡散防止条約(核不拡散条約、NPT)に加盟していない核保有国インドとの原子力協定調印に向けての交渉は、核拡散を一層助長することになり、被爆国としてあるまじき行為と言わざるを得ない。

 安倍首相には原発輸出よりも、全力を挙げて取り組むべき喫緊の課題があろう。

 炉心の底に溶融して塊となった核燃料、冷却のために増え続ける高レベル放射性廃液、海洋へ流出する汚染水、不安定な状態のままの使用済み核燃料、進まぬ汚染除去や被災者への補償、最前線で働く労働者の被曝による健康影響…。挙げれば切りがないほど問題が山積している。

 「アベノミクス」のために、原発輸出に奔走するのは、命よりも経済を優先した政策とみられても仕方あるまい。

 福島原発から流出する放射能汚染水は、沿岸部だけでなく、広く海洋汚染につながる可能性が高い。そうなれば、被爆国日本は福島や茨城の漁民らに対してだけでなく、世界に対して核汚染の加害国となってしまうだろう。こうした難題を抱えた中での原発輸出セールスである。

 「フクシマで過ちを犯しながら、被爆国が率先して新たなヒバクシャを生み出すのか」。倫理にもとるその行為に、被爆者は失望し、怒っているのだ。

 被爆地が大きな失望と憤りを覚えたことは、ほかにもある。4月にジュネーブであった2015年のNPT再検討会議に向けた準備委員会。そこで提案された「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に、日本政府が賛同しなかったことだ。その姿勢に、核廃絶を求める非核兵器国や国際NGO、市民も批判の声を上げた。

 共同声明は南アフリカ政府などが提案。スイス、ノルウェー、マレーシア、メキシコなど最終的には80カ国が賛成した。が、日本政府は「いかなる状況下でも核兵器が再び使用されないことが人類生存に寄与する」とのくだりに引っかかった。

 核兵器廃絶決議案を毎年、国連総会に提出している日本政府。被爆国の立場からすれば、賛成して当然の内容である。にもかかわらず、賛成すれば、米国の「核の傘」の抑止力が損なわれるとの理由で支持を見送った。

 惨禍を生き延び、「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」「ノーモア・ウォー」の願いを込めて体験を語り続けてきた被爆者にとって、政府の決定はこれまでの努力に冷水を浴びせられるようなものであった。

 ある状況下では、米国に要請して核による先制攻撃をしてもらう。そう言っているようなものである。核の傘の下にいるだけで、核廃絶を希求するヒロシマ・ナガサキの訴えは、国際社会ですでに大きく損なわれているのだ。

 確かに、中国の軍事増強や北朝鮮の核・ミサイル開発が進められているのは、紛れもない事実である。だが、その状況に軍事力で対抗して、東アジアにさらなる緊張を高めても問題の解決にはつながらない。歴史を踏まえて対話を重ね、知恵を出し合い、互いに信頼を築くための外交努力をする。それこそが、東アジアのみならず、周辺地域や世界をより安定した平和な道へと導くに違いない。

 「核抑止論」は、神話にすぎない。もし、それが戦争を抑止し、国民の平和と安全を保障するのであれば、すべての国が核武装すればよいことになる。

 しかし、現実は逆である。核保有国が増えれば各国間の相互不信は募り、世界はより不安定になる。核物質は地球上に広がり、放射能汚染地帯やヒバクシャは増え、核テロの危険性は高まる。核兵器はテロやサイバー攻撃の防止にも役立たない。

 米国、ロシアをはじめ、核保有国の為政者に使用をちゅうちょさせてきたのは、核兵器ではなく、ヒロシマ・ナガサキの想像を絶する惨状であり、「同じ過ちを繰り返させてはならない」という被爆者ら多くの市民の訴えである。

 核兵器禁止条約を求める国際社会の足を引っ張り、フクシマが投げかける問題解決よりも原発輸出や再稼働、憲法改正に熱心な安倍政権。これが戦後68年を経た被爆国の姿なのか。被爆者の無念さ、怒りに触れ、原爆犠牲者に思いをはせるとき、政府が唱える「被爆国」という言葉が空疎に聞こえてならない。

 核兵器を「威力」としてではなく「悲惨」「絶対悪」とみなす人々の数は、確実に世界中で増えている。長年にわたる被爆者らの訴えの成果であろう。危険な核エネルギーではなく、持続可能な再生可能エネルギーへの転換を求める声も強まっている。それだけに、被爆者は逆方向に向かおうとする安倍政権に深い懸念を抱いているのだ。

 被爆国にふさわしい非核政策をいかに政府に取らせるか。何よりもまず、被爆地から、そしてヒロシマ・ナガサキの持つ意味を自覚した人々や自治体などから、政府への働きかけを強めることだ。と同時に、さまざまなルートを通じて国際社会にも訴えかけることである。それこそが、あまたの原爆犠牲者に、そして平均年齢78歳を超えてなお次世代に語り続ける被爆者に応える道であろう。

 私たちメディアの責任も重い。


たしろ・あきら
 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター長兼特別編集委員。1972年入社。販売局発送部、編集局報道部、編集委員、特別編集委員など歴任。2008年から現職。主な著書に「核時代 昨日・今日・明日」(中国新聞社)、「知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態」(大学教育出版)、「核超大国を歩く―アメリカ、ロシア、旧ソ連」(岩波書店)、「戦争格差社会アメリカ」(同)。共著に「世界のヒバクシャ」(講談社)。ボーン・上田記念国際記者賞、日本記者クラブ賞など受賞。

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